マストドン

ツイッター公式が色々と不便なほうに舵取りしている中で、Mastodonの話がまた上がってきていた。去年の春頃に1回話題になり、その勢いでMastodonのアカウントを作ってみたはいいが、使いかたがさっぱり分からぬまま2トゥート(ツイート)だけして放置。そして今に至る。その今、ユーザーアカウントもパスワードもすっかり忘れてしまっていたが適当にそれっぽいものを打ち込んだらMastodonに無事?ログインできた。

 

ログインしてタイムラインを眺めながら、ネットで改めて使い方や仕組みを調べてみたが、なんというか、当初の印象と同じ。つまり、けっこう複雑。仕組みを理解しないと目的を達成できないタイプの難しさを感じる。ユーザーにもわりと偏りがある感じがする。初期のツイッターともまた違う感じのユーザー層である印象を受ける。

 

ローカルタイムラインも連合タイムラインも爆速でアニメアイコンの発言が滝のように流れていき、情報収集どころの騒ぎではない。これ意味あるのかと思ったが、これはおそらく自分がユーザー数が最大級のmstdn.jpにログインしているからで、それほどユーザーが多くないインスタンスなら有効に機能するのかもしれない。かといって、わざわざ過疎なインスタンスにアカウントを作りに行くのも面倒だ。そもそも良いインスタンスの見つけ方は?使い方の集合知をあまり見かけないのは、ユーザーが少ないからなのだろうか。フォロワーさんのフタロさんに色々と教えてもらったり、自分で図を描いてみたりしてちょっとずつ理解しているのだけれど、いまだ霧の中を歩いているような感覚がある。

 

そんな感じで考えながらツイッターマストドンを行ったり来たりしていると、自分はなんでツイッターを続けているんだろうとふと思った。それなりに長く続けていて、それなりに仲良い人がいるからだろうなと思う。そう考えると、機能でサービスを選んでいるわけではないということなのだろう。タイムラインがぐちゃぐちゃでも、リアルタイム更新ができなくても、広告バンバン飛んでくるようになったとしても、まぁしばらくは使い続けるんじゃないだろうか。

 

親の本棚

親の本棚がどうとかいうツイートが流れてきていたので、自分はどうだったかというと。本棚というより、両親から受けた読書の影響の話。

 

母がかなりの読書家で、未だにかなりの量の本を読む。ジャンルも割と幅広く、本屋大賞から自己啓発本まで読む。65を過ぎて自己啓発してどうなりたいのかわからんけれど。特に母は村上春樹が大好きなので、おれが小学校の頃からやたらと推していたのを覚えている。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は小5くらいの時に読まされた。当時は意味がわからんかったが、大人になってから読み返したらなかなか面白かった。今でも母の読書のインスピレーションからおれが読むことも多く、おそらく母と感性が近い(母からのインスピレーションを多く受けたので、自分の感性が母に寄ったのかもしれないが)。

 

父はといえば、ジャンルが狭い。一部の歴史小説しか読まない(司馬遼太郎宮城谷昌光くらい)。しかも何度も読み返す。宮城谷昌光は父が『孟嘗君』を読んでいたのを、当時高校の頃のおれが借りたところ嵌った。これはおれの人生の中でもオールタイムベストに入るくらい好きな小説になった。父は宮城谷昌光だと『楽毅』が一番のお気に入りらしい。

 

おれは多読と言えるほど読んでいるわけではないが、読書に対する抵抗感がまったく無いのは、おそらく両親の影響であり、大いに助かっている。

キルリスト

おれ自身はお盆らしいことはしていないが、お盆らしく長期休暇を取っている仲のいい友達が帰東していることもあり、メンバーを集めて呑んだ。属性としては、中学時代の仲よかった同級生ども5人である、

 

中学卒業してから20年前後(微妙な表現)ということもあり、また地元で呑んだということもあり、もう少し集めて同窓会でもやってみてぇなという話になった(実現するかは別として)。そうすると、中学の友達誰いたっけという話になった。名前を出していくと、あーあんな奴いたなーみたいな感じで盛り上がった。

 

そんななか、田川(仮名)とかいたなー近所だったよなー、と名前が出たら、卓を囲んでいた阿澄(仮名)が「田川はおれの天敵だった…。」とポツリと呟いた。天敵ってなかなかいい表現だなと思ったが、どうも当時、阿澄は足立に(割と頻繁に)いじめられていたようだった。特にいまそれがトラウマとかになっているようではなかったので、それはホッとしたが、当時のおれは知らなかった。なにしろ遠い過去なので、おれが覚えていないだけかもしれない。

 

つぎに、中学当時の先生の話題にもなり、当時所属していたバスケ部の顧問の話題になった。呑みの卓を囲っていた三村(仮名)は、当時その顧問に殴られたことがあった(これはおれたち全員がよく呑みの席でネタにする話題でもある)。バスケの試合後に、何もしていないのに殴られた。とは三村本人の弁である。三村もまた「奴は未だに俺のキルリストに入っている…。」と呟いた。

 

いじめや暴力というのは、やられた側はいつまで経っても覚えているものだ。やった側や、周りが忘れているとしても。

no deal

7つの習慣だかなんだか忘れたが、他者との関係には下記の4つ

win-win(両者OK。どうでもいいが、「ういんういん」で左記のように変換されるのすげえ)

・win-lose(自分だけ勝つ)

・lose-win(相手だけ勝つ)

・lose-lose(どちらも負ける)

・no deal(取引しない)

 

があるとされるというのをむかし読んだ。win-winはビジネス用語でもよく出てくるが、それ以外はあんまり出てこない気がする。win-winの次(または同じくらい)に良い結果が、一番下のno dealだとされる。自分としては、「お互いが納得すること」だと捉えている。人間関係を壊すことなく別れる、という感じだろうか。

 

コミュニケーションにしろ営業活動にしろ恋愛にしろ、このno dealということを最近は特に意識することが多い。たとえば営業活動でクライアントに提案した商品に対し、「検討の結果他社に決めたので今回はお断り」ということになった場合、表面だけ捉えたらlose-win(お互い無駄な時間を使ったという印象ならlose-lose)だが、相手の本心(お断りの本当の理由)を引き出すことができれば(本心を伝えてくれるような関係づくりもまた大事なことだ)、お互い納得して別れることができる。この例で言えば、「他社に決めた」という理由のさらにその理由が、商品スペックなのか、会社の信頼性なのか、はたまた営業担当者なのか、権限者の機嫌なのか。そこまで聞ければ提案側としてはとても良い。そうして、そういう風に関係が終われれば、それはno dealで、良いことだと思う。提案側としては悔しさは残るかもしれないが、笑って別れられると思う。

 

いま自分は小さなコミュニティを運営しはじめていて、だんだん人が増えていけば良いなと思いながら活動しているが、(気が早い話だが)誰かがそのコミュニティを離れることになったとき、笑って別れられるようなものにしたいなと思う。

お盆

何度か転職をしたが、どの仕事でもお盆に休むという慣習がある会社でなかったせいか、今の仕事でもあまりお盆だ休み帰省だーという感覚がない。東京生まれ東京育ちということもあるかもしれない。先週の金曜日には通勤も楽になるかなと思ったらぜんぜんそんな事はなくてムカついたし、今日も出勤したけれど、今日からは通勤が楽になりそれはそれでムカついた。

7年くらい前だが、青物横丁にある謎の飲み屋に占い師が居て、未来を占ってもらったことがある。謎のバアさんだった。10分近くずっと手を握っていたが、全然反応がないので顔色を伺ってみると寝息をたて始めた。トランス状態というのだろうか。数分間待ってあげたがもういいだろうと思い、大丈夫ですか、と声をかけたら、急遽トランス状態から戻ってきたのか、カッと目を見開き「あなた、もう何年もご先祖の墓参りに行ってないでしょ。」と言った。たしかに行っていなかったので、そうです、と答えた。「だからね、守護霊が視えなくて、あんまり未来が視えないの。」と言われた。マジか。視えんのか。そういう前提が必要なのか。それ先に言ってくれればお互い時間をかけずに済んだのにと思った。ガッカリして酒の席に戻った。

 

両親が岡山の産まれのため、ご先祖の墓はそこにある。おれが最後に行ったのは数年前だったふうに思う。何しろ遠いし、そもそも両親も毎年帰るわけでないものだから、何か特別な用事がないと、御墓参り単体を目的として行くことはない。

 

個人的に占いとか守護霊とかジンクスとかあんまり信じていない。有料で未来を占ってもらうくらいならば、同じお金で役に立ちそうな本を読みたいと思う。ただ信じていないから存在を否定するというわけでもない。たとえば、ストーリーとして『お墓参りに定期的に行っていないから守護霊が視えない。したがって、未来も視えない。』という展開そのものはなんとなく一貫性があり説得力もあって面白いなと思った(いちおう当たっていたし)。占い云々ではなく、ビジネスでも生活でもなんでも、何かと何かが繋がっている、繋げるという感覚や発想は、ここのところ個人的にはアンテナを張っている。

『ニューヨーク・ニューヨーク』

ニューヨーク・ニューヨーク

タクティクスオウガ松野泰己さんが、映画『LALALAND』の感想をツイートしていた際、この作品に言及されていたのを見て以来、観てみたいと思っていた。長らくなかなかレンタルでもビデオ配信でも見つからず諦めていたところ、ふと立ち寄ったTSUTAYAで見つけたので秒でレンタルした。

1945年、終戦パレードに沸くニューヨーク。帰還兵のジミーはパーティで、1人の女性を口説く。彼女フランシーヌには冷たくあしらわれてしまうが、ささいなトラブルがあり(ジミーはしめしめと)同行することになる。ジミーは天才肌のサックス吹きであり、そのオーディションに彼女も着いてくる。実は彼女もまた歌手であった。

162分。長い。

ジミーは天才という触れ込みだが、それゆえか、時代性なのか、かなりサイコパスな性格で描かれる。暴力を振るうシーンこそないものの、人によってはかなり不快感を覚える人もいるだろうと思う。自分としても相当ハラハラしながら観ていた。まず冒頭の口説きのシーンからかなりしつこい。その後も、よくキレる、行動が読めない、周りに迷惑をかける。こんなやつに対してフランシーヌは淑女として描かれる。まじ大人の対応。良い子。ていうかこんな男のどこが良いのだ。何が良くてフランシーヌはこいつと添い遂げようと思ったのか、疑問に思うレベル。男女どちらの主人公にも共感が難しい。だがまぁ男女というのはよくわからないものだから、ラブストーリーだし、これはこれで良いと思う。途中からサスペンスになるかと思ったけどならなかった。それくらいジミーの性格にハラハラする。人によってはイライラすると思う。

ジミーは楽団に入るが、楽団の興行もなかなかうまくいかない。フランシーヌのほうは逆にうまくいってしまう。それがジミーは面白くない。そういう面倒な人間関係も描かれる。LALALANDのテーマでもあった、仕事と恋愛(家庭)にどう折り合いをつけるか、あるいはつけないのか。ライブと商業音楽(CM、ラジオ)、古いものと新しいもの、という対比もあるのだろう。LALALANDのほうがこちらをオマージュしたのだろうが、ストーリーラインはかなり似たような展開をなぞる。ビジュアルもLALALANDがオマージュしているシーンが多く、そういった部分を探しながら観るのも楽しい。

音楽とミュージカルのシーンはほぼ生演奏であり、曲も演奏もとても良い。時代の音楽だが、いま聴いても聴ける。そしてライザミネリ(フランシーヌ)の歌が本当に上手い。賞を取ったのもうなづけるレベル。また、後半のミュージカルが「HAPPY END」という演目であり、このミュージカル自体すばらしい出来なのだが、これが痛烈すぎる皮肉として描かれる構造なのがまたすばらしい。演者は何を想いながらこの舞台に立っているのか…と考えてしまう。このミュージカルからラストまで一気に走りきるのだが、その展開はかなりウオオオオとなる。すっごい泣けるとか、強烈なサプライズがあるわけではないが、とても良い。なんというか、ハードボイルドというか。

監督はマーティンスコセッシ。ウルフオブウォールストリートの監督で、このサイコパス
こいつかー!と合点がいった。ほんと観ていて離席したくなるくらいのシーンもあり、危ういバランスの上に成り立っている映画だと感じた。1977年制作とのことだが、けっこう伏線というか、テクニカルな構造もあり、冗長なシーンも多いけれど全体としてはかなり良い映画だった。

 

 

 

 

 

2017年2月に観た映画

春が近づく土曜日。午後にリアル妹と『ラ・ラ・ランド』を観に行った。今回の記事では書かないけれど、凄まじい映画だった。『セッション』も凄かったけれど、また別ベクトルで尖った映画を作ってくる監督だ。

 

2月はなんとか最低週1で映画を観ようと頑張った。

 
 
『LIFE!』
BDで借りて観た。出版社でさえないサラリーマン生活を送っている、妄想癖のある40代主人公。自社が買収される事になってしまったのだが、[LIFE]最後の表紙を飾るネガが無い事に気付く。撮影した写真家はグリーンランドに居る事が分かり、主人公が取った行動は…。
『ライフオブパイ』の監督で、前作の映像は綺麗ながらもやや嘘っぽさも目立ったが、今回は大自然の美麗さがなかなか自然に描写されている。画になるカットが多くてみていて楽しい。
 地味な生活から抜け出して、スリリングな冒険に出てみたいというのは誰もが日常のなかでふと憧れるもの。日常から一歩を踏み出す勇気により、大冒険に出る主人公。変えられない結末でありながらも、冒険を通して主人公の人生に対する意識がほんのちょっと変わっていく。変えられないものと、変えてゆけるものの対比が、ファンタジックな映画なのにリアリティを持って描かれる様は見終わった後に心地よく余韻が残るものだった。 
 
『ダラス・バイヤーズ・クラブ』
DVDで借りて観た。テキサスで電気技師をやっている主人公ロンが、医者よりエイズ陽性と言われ余命30日の宣告を受ける。裏取引で新薬のAZTを買い一命を取り留めるが、政府主導のこのAZTが強い副作用を起こす事を知り、メキシコの闇医者から本当に効くといわれる認可外の薬を仕入れるが…。
ロデオとセックスとドラッグが生き甲斐の刹那的人生を送る主人公。認可外の薬をメキシコから仕入れて患者に販売するのも最初は金儲けのためで、まったく価値観に共感できなかったが、エイズや薬の事を勉強しドラッグを止め、徐々に患者のため義のために行動していく姿はなかなかカッコいい。認可外の薬を売るきっかけになった相棒のゲイもなかなか良い味を出している。ドラッグを止める事ができずにどんどんガリガリになっていく姿は痛々しい。
違法ギリギリの販売方法を行う事で、政府から度々圧力がかかるが、効く薬を認可しようとしない政府(FDA)の方がどう考えても悪いように感じる。日本ではあまりなじみの無いエイズだが、アメリカではかなり問題になっているようで、こういった実話を元にした映画が作られたのだろう。
 
クリード チャンプを継ぐ男』
アマゾンプライムで観た。かつてのロッキーのライバル・アポロの息子アドニスが、ロッキーをトレーナーとしてボクシングに挑む。
黒人の主人公が良い意味でなかなか知的な印象。親の七光りという世間の評判や自分のコンプレックスを克服してゆくのが良い。ロッキーの枯れたトレーナー具合も味わいがある。試合のシーンはいつもながら熱く感動する。最後の試合前の、控え室からリングに上がるまでのシーンがちょう良かった。なんというか、結果よりもここまで辿り着くまでの道が大事なんだなぁと思えた。主人公がランニングしているときに周りのチンピラ共がバイクで一緒に走り出すシーンも良かった。
 
RWBY Vol.3,Vol.4』
Youtubeの公式配信で観た。主人公達が通うハンター養成学校でバトル大会が開かれる中、陰謀が仕組まれてゆくが…。
Vol.3では、それまでの牧歌的な雰囲気から一転しシリアスな展開となる。さらに、vol.4では学園生活という箱庭的な構成から、広く世界を魅せる展開となる。シナリオとしては一段落といったところでやや展開が遅いきらいはあるが、各キャラクターの成長が丁寧に描かれていてとてもよい。PTSDネタをティーンで大真面目にやるというのもなんというかアメリカ的だなぁと思う。
RWBYの大きな魅力であるバトルだが、vol.3の作成中に動画監督が急逝された(おれと同い年なのだが)との事で、Vol.3ではこれまでより明らかにキレが無く、Vol.4に至っては劣化が目立ってしまい残念。Vol.4はシェーディングや細部がかなり美麗になったが(特に背景の書き込みがこれまでと段違い)、Vol.3までの、アニメチックながらどこかアーティスティックな質感が無くなってしまったのも残念。とはいえ武器は個性的でカッコいいし、キャラは相変わらずみんな可愛いし、一歩抜きん出たセンスのあるアニメだと思うので続きも期待している。