漫画『攻殻機動隊』

今日(2018/10/08)時点でKindleで無料配信中。懐かしくなってダウンロードした。

 

1991年リリースだが、その時代にこのクオリティの作品が作られていたということに感嘆せざるを得ない。著者のあとがきでは『表層を舐めただけの軽いサイバーパンクもどき』というくらいの謙虚なものだったが、当時はすげぇ漫画だと思って読んでいたし、今読んでもまったく色褪せない面白さと重厚さがある。一話完結のサイバー刑事ものとしても楽しめるし、後半の人形使いとの邂逅とラストまでのSF的展開はとにかくすげぇの一言しかない。ひとたびページを開いてしまったら自動的にもりもり読んでしまうくらいの求心力がある。

 

絵もすごく緻密で、機械のインダストリアル感や建物のリアルな感じは今見てもたまらない良さがある。軍事や武器のリアリティもすごく良い。欄外にたくさん書き込まれた蘊蓄もそれだけ読んでも面白い。サービス精神旺盛な作家さんだなと感じる。

 

ちなみにおれは士郎正宗作品に関しては原理主義者なので映画やアニメより断然原作派である。われわれ原作原理主義の特徴として『シリアスでありながらそこそこギャグを混ぜる士郎テイストが好き』というのが挙げられる。映画やアニメにはこれがない。なんで真面目一辺倒にしちゃってんのというかんじである。フチコマのオトボケ感あふれるキャラや、漫才的なキャラクターの掛け合い、『〜〜〜』みたいな感じの口の雰囲気といってわかるだろうか。ちなみに、このテイストを継承しているのは数あるメディアミックスのうちPS1のゲームぐらいである。このゲームでのアニメパートや話はとてもよいので機会があれば触ふれてみてほしい。

 

ファンとしては断然アップルシードの5巻を待っている。 

 

 

役割分担

20代の頃、社会人になってからも学生時代の友達とは年1回くらい泊まりを含む旅行に行っていた。だいたい夏ぐらいの、お盆どまんなかではなくちょっとだけ混雑をずらすような季節にしていた。だいたい仲のいいメンバー5人で行っていたのだが、みんな休みがカレンダー通りでもなかったから1泊2日という強行日程もザラだった。もう何年も行っていないが、今でもやりたいなと思う。ライフスタイルがみんな変わってしまっているのでなかなか難しいけれど。

 

夏前くらいになるとメンバーの中で一番行きたいやつ(仮に井村とする)が「今年もどっか行きたいなー行こうぜー」とメールで呼びかける。そうしてメンバー全員が一度集まる。そこでなんとなくワイワイ話しながらおおまかにどこに行くかを決める。どこに行くかを決めたあとは、具体的にどういうルートで観光するか、どこに泊まるかなど全ておれが決めていた。飛行機とホテルの予約、ルート選定、スケジュール割、予算などだ。

 

そういった細かいことを考えるのは好きだし苦にもならないから普通にやっていた。ドラッカー的に言えば井村がリーダーシップ、おれがマネジメントということになろう。戦略的と戦術的だと言い換えてもいい。王さまと軍師みたいな。

 

最近休日に人を集めるイベントを色々と企画しているのだが、そのイベントはおれが「やりたいなーやろうぜー」と言い続けていたところ賛同者が現れてくれたというパターンだった(とても有難いことです)。その賛同者はおれの友達なのだが、仮に中町さんとする。そうして中町さんとやるぞーと決めたあと、中町さんは早速翌日に詳細なタイムテーブルや予算などを送って来てくれたのだった。それを感心とともに眺めながら、「あ、これ昔おれがみんなで旅行行ってたときのおれの役割を、中町さんがしてくれてるんだ。」と気付いたのだった。

 

たぶん、旅行の例でいうと一番行きたいやつが井村で、イベントは一番やりたいやつがおれだったのだろう。一番やりたいやつが主導していると、(自然と)周りがマネジメントに回る。当たり前なのだが、クラスタというかコミュニティというか、メンバーによって役割が自然と決まって行くような現象に見えて、なんだか面白いなと思った。

新しい道路

家の近くに新しい道路が出来ている。街と街をつなぐような大きい道路なので、今まであった家並みのグリッドを無視して斜めにズドンと通っている。この道路ができれば渋滞がけっこう緩和されそうで、悪いことはなさそうだ。車の売上は下降の一途をたどっているのに、道路はどんどん増えていく。道路が減ることはないよなと思う。

 

新しい道路ができてしまうと、途端に前の景色はどうだったかを忘れてしまうなと思う。思い出せなくなる。街並みや、雰囲気は、すべて新しい道路に上書きされる。その景色こそが、まるで以前からあったかのように現在に馴染んでいるので、その目の前の現在だけではなく過去までも上書きしてしまうことがある。そうやって過去を忘れてしまったり記憶が変わったりしてしまう前に、動画でも写真でも撮っておけばよかったと思うこともあるのが、そういうことを思うのは、常にすっかり変わってしまったあとだ。

漫画好きと電子書籍

最近、ベルセルクの新刊がでてウレシイ!と思っているうちにHUNTER×HUNTERの新刊もでてまたウレシイ!となった。この2つはさらにウレシイことに紙の本と電子書籍と同時発売だったので、ベルセルクは発売日の深夜0時に早速ダウンロードできたし、ハンターのほうも発売日の朝に買って出勤前に読むことができた。ベルセルクは絵が緻密で1コマ1コマ惚れ惚れするし、ハンターはとにかく話の展開が面白すぎる。けれどもこうして新刊が出たということは、次の新刊までまた待たないといけないということだ。かなしい。

 

自分の場合、漫画は買ったら冗談抜きに100回くらいは読み返す。何回読み直しても面白い。隅々まで絵と話を楽しみたいという欲がある。そのため、売ったり手放したいと思うことがない(逆説的に言えば、そういう何度も読み返したい漫画を買っているともいえる)。そうするともはや紙の本で買うよりも電子書籍で買うことのアドバンテージが大きい。紙の本のぬくもりとかいうのは自分は全く感じたことがない。さらにこれは自慢なのですがiPad Pro 12.9インチの大画面で観ることができる。iPhoneのサイズだと小さすぎて字が読めないものも多いものですから。場所も取らないし、漫画に関してはもうほぼ電子書籍でいいかなという気がしている。当然、サービスが終了したら読めなくなるリスクもあるが、それはそれで仕方がないと諦める。

 

本当は、好きなものを好きな人にも体験してもらいたいという欲が昔からあるので、その点電子書籍だと『貸す』ことができないのだけがもどかしい。昔は紙の本しかなかったから、学生の頃はひとりの家に友達全員が自分たちが買った漫画を持ち寄って回し読みをしていた。ベルセルクもそうして知った面白い漫画の一つだったし、同じ漫画を共有することで同じ漫画のネタで盛り上がることができた。

 

まぁ、いまはこうしてブログで紹介することで興味を持ってくれたり買ってくれたりすることもできるから、それはそれで良いかもと思う。

 

 

50日間毎日ブログを更新した感想

8/11からブログを毎日更新し、50日まで継続した(今日時点でたしか53日目)。駄文の山だが我ながらよく続いているなと思う。ざっくりと感想を箇条書きに。

 

・更新しないと気持ち悪い

・新しいことや体験に目が向く

・1日目と50日目でも文章を書くスピードは変わらない

・キーボードじゃないと書けない(2エントリーくらいはiPhoneで書いたがコレジャナイ感がすごい)

・ アマゾンのリンクを貼るのがけっこう大変(はてなブログのアプリからだとうまく貼り付けできないのでSafariを使わざるを得ない)

・30日間まではその日にエントリを書いていたが、50日間までにはいくつかストックした記事をアップした

・本の感想は割とPVが伸びる

・映画の感想はそれほどでもない

・RTしてもらうとPVが跳ねる

・沢山の人に読んでもらえると何だかんだで嬉しい(のでRTしてくれると嬉しい)

 

こんな感じ。

アニメ『アンゴルモア』感想

 アマゾンプライムで観た。

“時は文永11年(1274年)。 鎌倉武士・朽井迅三郎はある事件により、罪人として対馬へ流刑となる。 島を治める地頭代の娘・輝日は、対馬へたどり着いた流人たちに、 蒙古の大軍勢が対馬へ迫っていることを伝え、ある命令を下す。 「さぁ、お前たち。この対馬のために、死んでくれ」 死罪となる代わりに捨て石となれと命じられ、 是非も無い流人たちは、蒙古軍との戦いへ身を投じる。 怯むことなく対馬勢を率いて立ち向かう迅三郎。 島民を鼓舞し勇気づける宗家一門と輝日。 古来より対馬を守り続ける刀伊祓たち。 太宰府からの援軍が到着するまで、 迅三郎たち対馬勢は、蒙古軍の猛攻を防ぎきることができるのか? 全てを失い、流された率土の地・対馬で 一所懸命という志のもと、諦めない勇者たちが挑む七日間の戦いが始まる--!”

1クールでサクッと終わってわかりやすい感じのアニメを観たいと思い見つけた。なかなか面白かった。人がバタバタ死ぬ話なのでゴア表現もわりと多い。

よそでも散々言われているが、『皇国の守護者』にそっくりである。主人公の顔立ち(性格ではない)はまんま新城直衛だし、戦略的劣勢であること、援軍が到着するまでの期間持ちこたえるという任務も一緒である。そのためどうしても『皇国〜』と比較してしまう。アンゴルモアのほうは戦略的というよりは戦闘的であり、集団というよりは個人にフォーカスを当てた魅せ方であり、冷静というよりは情熱である。要は少年漫画チックである。

主人公の朽井迅三郎は、顔こそ新城直衛だが、性格や性質は大いに異なる。迅三郎は一騎当千の猛者であり、人の気持ちをよく汲み、ときに大胆にときに冷静で合理的な判断をする指揮官である。かなり完璧超人の感がある。そういうキャラクターが戦術的にも戦闘的にもバッサバッサと蒙古軍を切り倒す様は見ていて気持ちが良い。ヒロインもまた、容姿端麗で弓術に長じてツンデレの完璧超人ヒロインである。見た目に可愛いので出てくるだけで目の保養になる。

自分はあまり日本史の知識がなかったが、時代考証もよくなされているようである。蒙古軍も人種によって軍が分かれていたり、竹槍のルーツや投石器、爆弾(鉄砲)なども登場する。

戦闘面での気持ち良さが先行する分、戦略・戦術的な面であれっと思う部分が目についてしまう。例えば、対馬の宝物をあえて蒙古軍の2軍が合流する場所に放置することで、2軍が宝物を巡って同士討ちをするというシーンがある。この要素だけ見るとおおっと思うのだが、観せ方がなんともしょぼい。ただ同士討ちを行いました的な描写で終わっている。その戦術を行ったことによる効果(遅滞戦術)が非常にわかりづらいのだ。なんとももったいない観せ方だと感じる。そういうガバった戦術シーンが割と多いのでちょっと残念なところである。寡集の軍が多勢をあっと言わせるというのは気持ちのいいシチュエーションなのだが、その理屈づけや説得性をもうちょっと欲しいなと感じる。

ストーリー全体としては完全な負け戦だ。その中で、諦めずに挑む姿であったり、死に様であったり、戦う意味だったりと、熱いものを感じさせる。そういう要素にビビッときた人は楽しめると思う。

 

 

『その日のまえに』

久しぶりに重松清さんの本を読みたくなり買って読んだ。

 

“僕たちは「その日」に向かって生きてきた―。昨日までの、そして、明日からも続くはずの毎日を不意に断ち切る家族の死。消えゆく命を前にして、いったい何ができるのだろうか…。死にゆく妻を静かに見送る父と子らを中心に、それぞれのなかにある生と死、そして日常のなかにある幸せの意味を見つめる連作短編集。”

 

全編涙ドバーの短編集である。ほとんどの話が、重い病気を抱えた人とその周囲を舞台として紡がれる。別れの瞬間だけをテーマとはしておらず、表題に代表されるよう『その日のまえ』や『その日のあと』といった、続いていく人生にスポットをあてている。別れが確定しているのが分かっている未来を、ある人々は受け入れながら、ある人々は不安になりながら、ある人々は見て見ぬ振りをしながら生きていく。悲しみという重荷を背負いながらも日々を懸命に生き続ける人たちを見ていると、こちらも元気が湧いてくる。重い展開が多いが、それでも不思議と明るい希望がもてる話作りはさすがである。

 

この作者の好きな部分は、感情の表現しづらいことを、表現しづらいままのニュアンスを残しつつ伝わりやすい様に表現していることだ。今回もそういったフレーズが随所にあって、とてもよかった。

 

『ーージョギングだけは休まない。「こんな日に走るかなー、ふつう」と明日奈はあとであきれるだろうか。こんな日だから休みたくないんだと、いつかわかってくれるだろうか。

 つづけることはーーすごいんだぞ、と自分に言い聞かせた。始めることも終えることもすごいけど、こっちだって負けてないぞ、と付け加えて、生きてるんだから、生きてるんだから、と繰り返した。ーー』(『朝日のあたる家』)

 

収録作のうち『その日のまえに』『その日』『その日のあとに』は連作であるが、別の短編の主人公たちがニアミスしその後の人生が少し描かれているのが読んでいて楽しい。