物語とか共感性とか

家の引き渡し最終日、いつものように6時に目が覚めて支度をして7時に家を出発した。23区をほぼ西端から東端へと抜けるのだけれど、朝は都心といえどもクルマの通りはよく、静かで、下道でも気持ちよく走る事が出来る。


3月のライオン』の主人公にけっこう共感性を持つことがあって、それは友達が少ないとか、上から目線的であるとか、無意識的に世界の中心は自分であると思っているとか、そういう部分もそうなのだけれど、冷静なようでいて短気な性格みたいなものはとくに自分と似ているなぁと思う。追い詰まり自暴自棄に勝負を急ぐ状況を、主人公の友達がみていて、潔いのと投げやりなのは違う、自分を大切にしろ、勝ちたいなら粘れ、と諭す。要は辛抱しろということなのだけれど、自分にとって足りないものの一つが辛抱だなぁと、読み返すたびに頷く。


3月のライオン』のような、面白い物語に強めのメッセージ性が乗ってくるような作品には、読み手に共感できるポイントが場合、すっと作者の語るメッセージが腹に落ちてくる時があるように思う。逆に共感できるポイントがない場合は、ただ単純に説教性の強い物語でしかないなぁと感じてしまうだろう。


自分の場合、こういった生き方のヒントのようなものを漫画とか物語に教えられることが多い。孤独というか、友達がいてもなかなか内面を話すのが苦手な自分のような人は、友達と対面して語り合いながら自分なりの生き方のヒントのようなものを見つけ出す(あるいは教えてもらう)という作業がし辛い、あるいは出来ない。そういったとき、自分の思考範囲だけで思いを巡らせて何かを発見するのも案外と難しく、考えがどうどうめぐりだったり、最初に考えた結論に戻ってくるだけであったりすることも多い。


そういうときに他人の創る物語というものが必要なのではないかと思う。自分とまったく一緒じゃない、けれども強烈に似ていると感じる、そういった境遇や性格をもつキャラクターの生き方に自分の意識を寄せていくとき、新しく見えてくるものがあるように思う。