見て見ぬ振り

昨日の夜から雨が降り続け、日曜日まで止みそうにはない。土曜日だが仕事場に行かねばならず、とはいえ行ってやる事はそれほどないので、若干気持ちは楽でもある。


いじめについて話題がツイッターで流れていて、いじめがエスカレートして自殺されたという事件があったことを知り、暗澹とした気持ちになる。


見て見ぬ振りをするというのは、楽で得なものだと思う。けれどもそういったことについて、楽で得なほうを選ばずに、立ち向かうという姿勢を見せることが、本来大人の務めであるように感じる。子供は大人を観察して育つもので、ある状況下でどう振る舞うかという判断について、一番よいのは過去や誰かがそうしたという事例に学ぶことだ。けれども例えば今回のように、見て見ぬ振りが道徳的に許されない状況なのに、大人が見て見ぬ振りをして楽で得するほうを選んでいるということを観察者である子供が観ると、そうしても良いんだと学んでしまい、そうした大人に育つ。そして誰かに注意されたりしたときには『自分が観た大人はこうやって見て見ぬふりをして楽で得なほうを選んでいた』と言い訳をされてしまうだろう。そういう社会はいやだなと思う。


いやだなと思っていても、小さい部分では電車内での大人の大人げない振る舞いだとか、大きな部分では原発事故の情報隠蔽だとか、正義とか倫理とかそういったものに背いても楽で得なほうを選んで、それを見て見ぬ振りをしているような事例が多過ぎて、どうにも凹む。