プロレスを観に行った

昨日は帰宅が午前様になったので少々迷ったが、暑くなる前に走ろうと思いたち、明け方5時過ぎから自転車に乗り河口まで往復した。固定ローラーで何度乗っていても、実走でクリートを嵌め漕ぎ出す瞬間のなんともいえない気持ちよさは、実走でしか味わえない。


昨日遅くなったのは、会社の付き合いで社員のみんなでプロレスを観に行っていたからだった。行ったことは無かったが興味も特になく、夕飯でもいつも通り上司に気を遣わなければいけないのが確定事項なので(新人だから)、実際のところかなり気乗り薄で会場に向かった。


そのプロレスのイベントはある団体の10周年だか15周年記念ということで、手を替え品を替えた8種類の対戦が開催された。バトルロイヤルっぽいものからサッカー?のようなものから本気のタッグマッチ、新人のデビュー戦など盛りだくさんで、お祭りイベントのような様相だった。会場は1万人がほぼ埋まったようだ。


どうみても見習いのような人たちの前座から始まり、後半になるにつれて内容も濃い本期度の強いものになっていった。実際のところ、当初思っていたよりも遥かに試合を楽しんだ。盛り上がる所は一緒に声をあげたり、ロープやダウン復帰や大技が決まると一緒に拍手をしたりした。試合の構成も飽きさせずに観客を盛り上げるように構成されていて、起承転結みたいな様式がなんとなく見えたりもした。


恥ずかしながらこの歳になるまでプロレスを観戦はもちろんのこと、テレビでもまともに観たことがなかったので、楽しんだことは楽しんだのだけれど、色々と違和感が残ったのも確かだ。まず、プロレスというものはほとんどの技が当たったフリをしている(このレベルの事でさえよく知らなかった)。殴りつけるインパクトの瞬間に足でダンと音をだしヒットしたように見せかけて、相手は殴られたふりをして地面に倒れる。ロープにギューンと相手を放り投げてソバットを喰らわせる時でさえ喰らったフリをする(たまにマジで当たる)。フライングボディプレスも半分くらいは身体に当てない(半分くらいは当たる)。ダウンするとレフェリーがカウントを取るが、まだダウンした側が元気そうだったり、試合開始まもなくの時は必ずカウントが2で起き上がる。(名誉のために言っておくと、もちろん本気で殴る蹴るもしているし、すごい高さから硬い地面に落下したりする。)


当たっていない嘘っこの技を観て相手が倒れこみ、そこで観客が歓声をあげる。喰らったフリをした側はフラフラしながら立ち上がりまた嘘っこの技を披露して逆襲し、またそこで歓声が上がる。そういった、なんというか『嘘』を含めた試合だということをレスラーもレフェリーも実況も観客も、おそらくそこにいる全員が承知していて、それを含めて空気や場の流れを読んで全員で盛り上げて楽しむ、そいういったある種の社会性みたいなものが強烈にそこには存在しているような感じがした。『観客を楽しませる』事に最も重きを置いているように思え、そういう意味ではプロフェッショナルな精神を感じた。いっぽうスポーツとしてみた場合、『勝敗』という要素は希薄な印象があり、やはりスポーツではなく興行といった言葉がしっくりくる。


こういったプロレスの本質を一番突いているなと思ったのは、イベントの後半にあった『透明人間と戦う』という試合だった。透明人間と戦うレスラーはそこそこ有名な人のようで、とはいえ僕はさっぱり知らないのだけれど、とにかくそのレスラーが透明人間と戦う。いわばパントマイムみたいなものだ。一人で技を当てたフリをして、一人で喰らったフリをして、そこでも技やなんやかんややると歓声があがる。やっているレスラーは汗だくで、本気で殴り殴られ、飛んだり跳ねたり場外に行ったりして戦うフリをする。なんかもうちょっとしたプロレスの哲学みたいなものがそこにはあったような気がした。