馴染むという事

一週間が無事通り過ぎる金曜の夜。あいにく土曜日は雨模様で、自転車に乗れるのは室内と日曜日だけになりそうだ。

今の職場に入ってからいつのまにか半年が過ぎていた。ぼくの仕事は内勤でルーチンの処理業務が比較的多く、毎日だったり毎週だったり毎月だったりといったスパンで発生する色々な仕事を何回もこなす。半年経ち、だいたいのそういった処理する業務は理解しながらこなせるようになってきて、そろそろ創造する業務のほうにも取り掛かっていきたいなと思っている。

環境に慣れるのに一番必要なのは個人個人の相性でも性格でも意思でさえもなくて、ひたすら時間という要素が大きいのだと最近は感じている。今の職場に入りたての頃、職場の人たちと早く馴染もうと前のめりになっていて、なかなかうまくいかずに焦る日が続いた。こっちが気を遣っているつもりが相手をかえって緊張させてしまったりすることも多かった。日々の新しく覚える仕事やそれを処理するのに必要な、他部署の人たちとのコミュニケーションを、何度も何度も繰り返していくうちに、何時の間にかそういう焦りは無くなって、最近ふと、あぁおれこの環境に馴染んでるなと思った。

個人が新しい環境に馴染もうとするとき、その人が環境に馴染もうとする一方で、環境の側もその人を受け入れるために適応するのだと思う。それは自由に形を変えるパズルのピース同士のようで、一方が相手に嵌ろうと形を変えるだけではだめで、相手もまた形を変えてくれないとうまくフィットしない。そして相手側、ここでいうところの環境だが、それは集団が形成しているサイズの大きいものなので形を変えるのはすぐというわけにはいかない。それはたぶん個人が形を変えるよりもずっと多くの時間を必要として、ゆっくりとその大きなピースの一部分を、相手に合わせるように変えていく。そうしてやがて二つのピースが嵌る。これが果たして伝わる喩えなのか些か自信がないけれど、そういう事なのではないのかなと考える。

いま10月から自分のチームに新しく新人が入ってきて、その人もまた、まだこの環境に馴染んでいるとはいえない。でもその人をみていると、日々だんだんと環境に慣れて馴染んでいって、またなんとなく受け入れる側もその人に馴染んでいって、そういった互いの変化を観察することはちょっと楽しい。そして、それは自分も半年前に通ってきた道なのだと思い、そこにはきっと近道はないのだと思う。

馴染むというものは不思議な概念だと思う。