Les Miserables

12月も入った途端に怒涛の忙しさ、まさに年末進行というべき業務の状態で、連休中にまで足が出る体たらく。もう少し準備をしておけばと、業務量そのものよりも段取りの悪さに自分を呪いたくなるけれど、そう思ったところで業務量が減るわけでもなく、せめて締め切りには間に合うようにスケジュールを組み立てる。

そんな折、連休の中日の今日に、誘われて映画の『レ・ミゼラブル』を観に行った。自分はミュージカルがもともと苦手な性質で、さらにこの映画は3時間近くあるようだから、途中で集中力が切れてしまうのではないかと不安になったけれど、気分転換も兼ねて行く事にした。セリフの99%が歌だということを聞き、それほぼ全部じゃあないかと思い、それなら却って諦めもつくというものだ。ちなみにぼくは原作は読んでいない。

結論からいうと中々良い映画で、所々駆け足な部分もあるものの、素直に感動しぽろぽろと泣ける終わりだった。不安の一つだった歌パート(ほぼ全て)が凄く良く、それはもしかしたら映画館という環境で聴いたからというせいもあるかもしれないのだけれど、集中力を切らすことなく聴く事ができた。ぼくの場合ミュージカルというものは映画館で観たほうがよいのかもしれない。

予告では愛だとか希望だとかそういう事を謡っていたけれど、愛はともかくとして、あの話に希望があるようにはみえない。少なくとも、自分自身で実現できる類の希望はほとんどなくて、他人に託す希望のようなものがあるくらいで、それは自分自身が生きるための希望では無い。けれども、希望が無いからといってもそこに絶望しか残って無いというわけでは決してなくて、希望の無いなりにぼろぼろになりながらも縋ったり託すものを見つける事ができたならそれは貴い事なのだろうと感じた。

登場人物の多くが死ぬ間際にそういった縋ったり託したりできるものを確認できてから去って行く。それは概ねどれも安らかなふうで、Les Miserable(憐れな人々)の救いは唯一死んだ時であるという印象も受けた。そういった感覚は、西欧とかキリスト教とかそういう考え方の特徴なのだろうか、それともあの時代特有のものなのか、よくわからなかった。