真似たり盗んだりする事

腰が痛くなるほどよく眠った日曜日の朝。外は小降りの雨で薄暗く、静かなふうである。


自分はミーハーな性格なので、よく他人や有名人や創作人物のカッコいい振る舞いだとか良い特徴を真似たがる。そうして真似たり盗んだりする他人の特徴が、どうもうまく自分のものに出来なくて、上滑りしてしまうふうなことがわりと多くある。

他人のカッコいい振る舞いだとか良い特徴だとかを真似ようとする事は、それは例えば切れ味の鋭い槍の穂先だけを手に入れて振り回そうとする事に近い様に思う。槍が槍として機能するためには柄の部分も(当然ながら)必要で、柄の部分がその人のカッコいい振る舞いとか良い特徴のバックボーンだとするならば、その事についてもちゃんと認識した上で真似たり自分のものにしようとする事が肝要なのではないかと思う。

表現の全てはアウトプットで、アウトプットがあるからにはインプットがあったはずだから、アウトプットをみてアウトプットだけを真似るということはインプットがない状態でアウトプットだけがあるという事になる。

綺麗な文体を書ける人の綺麗な文体をそのまま真似るのではなく、その人がどんな本や表現に触れてその文体に至ったか。コミュニケーション上手な人は今までどんな人に会ってきて、どんな経験を積んできたのか。親しい間柄とかであれば教えてもらえるかもしれないけれど、多くの場合そういった事に直接の答えを得る事はひょっとしたら難しいかもしれない。ただ直接の答えが得られないとしても、そこに思考の比重を少し置いておくことで、ただうわべだけを真似たり盗んだりするよりはずっと自分のものとして昇華させることができるふうに思う。