まったくお店が開いてない日

無慈悲にも4日からの仕事始め。行きの電車は空いているし、会社の電話はあんまり鳴らないし、こういう環境で仕事ができたらもっと生産性が上がるのだろうなと考えながらゆっくりと仕事をした。仕事帰りに受ける夜の風は朝感じていたよりも遥かに冷たく、コートだけではなくマフラーも必要だったなと首を竦める。


元旦に車で初日の出を観た帰り、市街地を通ったのだけれど、休んでいるお店もある一方で、営業しているお店もそこそこあった。いうまでもなくその筆頭はコンビニで、元旦など素知らぬ顔をしてこうこうとサインを灯していた。

元旦にもお店が開いているから何とかなる、というのは便利である一方で、段取りとか準備とかそういった知恵を人から奪うのではないかと思った。もし特定の日にまったく物が買えないという事が事前に分かっているならば、その買えない日を想像して前日までに多く買い物をしようとか、元旦はこういう料理で乗り切ろうだとか、色々と未来に想像を巡らせる(だからこそ日持ちのよい御節が考案されたのだろうと思うが)。そうして制限のある一日をなんとか最大限に楽にしようと考えるのではないかと思う。そういう思考と実践は、たぶん生活でも仕事でも色々と応用が効く。なにより良いのは、それが実生活に直結した経験であるから、活きた知恵になる事だと思う。

不便である状況が思考する事を強制させるのであるならば、そういった昔の元旦のような『まったくお店が開いていない日』があった方が、1日の売上を追うよりも、長期的には社会にとってはプラスになるのではないか、そういうふうな事を考えた。やりたい奴だけ勝手にやればいいじゃんとという意見もあるかもしれないけれど、こういう事はなんか地域社会が全体でやると凄い面白い効果を生むんじゃないかなと、なんとなく無根拠に思う。

地域社会全体でたとえば『軍隊に一日体験入隊』とか『一日断食』とか『100kmハイク』とかだと重すぎる。効果は高いだろうけれど、色んな意味で無理がある。ちょっとビックリするけれど割合にこやかに過ごせるプチ制限イベントとして、『まったくお店が開いていない日』というのは、面白いんじゃないかなと思う。昔と違ってネットワークやテクノロジーが進んでいるからこそ、なにか突拍子もない発想が出てくるような気がする(他力本願だ)。


こういう御託を並べつつ、おれは元旦の日にコンビニでビールを買ってしまったのだけれど。