ストイックさと冗長性の事

先週の3連休の初日、出張先でトラブル対応をしていたら風邪をひいてしまい、残りの2日をほぼ寝て過ごす羽目になってしまった。珍しい友人との約束があったのだけれどちょうど体調の悪さがピークにある時だったので行くのをやめた。今になってから、ちょっと無理をしてでも行くべきだったなと思う。こういう後悔の仕方はしたくないと思っているのにしてしまうのは、よろしくない。


1月の中旬くらいから、もう何回目になるかわからない英語の勉強を始めている。喫煙者が何度も禁煙するのと同じくらい、勉強を初めては辞めての繰り返しなので、そろそろ本格的に持続させていなとは思っているけれど(毎回思っているけれど)。通勤時間と帰宅後、ローラーをやりながらだとか、風呂に入りながらだとか、寝る前だとかに勉強をしている。勉強というのは、参考書やPodcastを聴いたり、スカイリムという海外ゲームの原書を読んだりする。それほどガッツリ勉強らしい勉強をしているわけではなく、それよりも先ずなるべく英語に触れる機会を増やそうとしている状態である。

結果としてスキマ時間のほぼ全てを英語に充てるようになっていて、反面、他の情報に触れる機会がほとんど無くなってしまった。まずTwitterやネットをほとんど開かなくなったし、テレビは元々観ないし、ふとした空き時間では、この時間勿体無いなと思って英語を読んでしまう。それはそれで良いことなのだろうけれど、どうもこう、急激に何十キロも痩せようとするダイエッターのようでもあるなと思う。それに集中している期間は良いけれど、ふとしたきっかけで燃え尽きて辞めてしまいそうだ。

こういった歪なストイックさを薄ぼんやりと自覚しつつ、やっぱり重要なのは緩くても持続させられるような習慣のシステム化で、そのシステムには冗長性だとか遊びだとか余裕だとかそういうものを取り入れるべきなのだろうなと思う。ローラーがなんだかんだいって1年続いているのは、毎日やらなくても大丈夫なようにしている(そう決めている)部分も大きいのだろうと思っている。