最短を選ぶ事

風が強く吹いている週末。自転車に快適に乗れる季節はすぐそこまで来ているようだけれど、まだまだ風は冷たい。3月は毎年いつかのタイミングで夜の風が突然ふわっと暖かくなる日があって、その風を受けると、春が来たなと思う。その瞬間は毎年ささやかな楽しみの一つ。


何事につけ、他人が見つけた最短の道というものを本とかネットとかで、今は見つけやすくなっているふうに思う。けれどもその道をさぁ自分でなぞってみたら、あれ、これあんまり自分では近道じゃなかったなと思う事を最近は少し感じるようになった。最短の道を選ぶということは、それだけ進む距離が短いという事で、それはつまり経験値がそれだけ下がる事にも繋がる。そういう理由かなと思う。若い頃の苦労は買ってでもしろ、という言葉も、ひょっとしたらその辺りからきているのかなと思う。単に時間と苦労をかけろ、というのとはまた違った意味合いを感じるようになった。

近道だと思っていた道が実は遠回りで、遠回りだと思っていた道が結局は最短の道だったと、漫画『スティール・ボール・ラン』で主人公が言っていた。『キラキラ』というノベルゲームでは、「世の中って難しい」という結論を最後の最後で主人公が導き出していた。最初から言おうと思えば言える、ありふれた結論ではあるけれど、それを自分で歩いて考えて辿り着くことに価値があるのだと思う。答えや結論なんて最初からわかっているものは少なくなくて、けれどもそれを最初に求めたり他人に教えて貰ったりしてしまうと、それは積もっていくものが少なくなってしまう。単純な年功や努力とはまた違う意味合いの『積み重ね』というものを、最近はよく考えていて、『考える生き方』を読んでまたそれを考えた。