全てを取りに行く事

そろそろコートが必要なくなりそうな暖かさを感じる週末。とはいえ、経験からして、だいたい3月下旬くらいにトテサム(とても寒い)なターンが来るはずなので、まだまだ油断はできないふうである。

以下、まったく具体的ではないけれど。

『売上をとるか利益をとるか』といった選択があるとして、ぼくの考えでは利益をとりにいくほうがたぶん難しい(難しいというか、工夫がいる)。利益は売上に付随してくる要素だから、利益をとりに行こうとすると必然的に売上もとりにいかなければいけない。だから、行頭の選択は本当は『売上をとるか利益をとるか』ではなくて『売上だけとるか利益もとるか』のほうが正確な表現だ。

もし利益のことを一切考えなくてよくて、売上だけとりにいけばいいのであれば、売る側としては楽であると思う。楽というのは、考える要素が減るから、その分だけ集中できるという事だ。目標もシンプルで迷いがないから効率もよくなる可能性がある。ただ当たり前だけれど、そんな事が許される状況はあまりない。利益の事を一切考えないで売上だけ上がった結果、利益はマイナスだったりしたら大変だ(でも往々にしてそういうことは起こり得る)。けれども短期的には、そういった戦略があえて有効になる局面もあるような気がする。

いろいろなものから一つを選ばなければいけなかったり、一方を得るにはもう一方を捨てなくてはいけないという状況は沢山ある。そういった選択を迫られる状況で、全てを捨てずに取りに行くというのは、問題に対して鳥瞰的だし、可能ならばそれが一番良いし、ヒロイックで感動的でもある。けれども、全てを取りにいくという事はそれだけその取りに行く全てに考えを巡らせ、エネルギーを投下しなければならないという事でもある。ありていに言うならば、それは凄く大変なことだろう。選択を迫られる中で全てを取りに行くようなヒロイックな物語は多いけれど、それはそれほど現実に即しているようにも思えない。(もう少し言うならば、自分はそういった物語よりも、捨てたものの悲しみを無形に背負って行くような物語が好きだ)

全てを取りに行くには、複雑であるがゆえに一転集中すればよいポイントを設定して、そこにエネルギーを集中投下させる仕組みが必要であると思う。そういう仕組みを考えられるようになりたいなと思う。