ギリギリになって気付くという事

祝日明けの木曜日から喉と鼻の調子が悪く、薄切で寝たから風邪ひいたかな、と思って葛根湯を飲んで多くの睡眠をとる。熱は上がらないのだけれど、どうも頭がふらつく感じがあり、昨日の日中は二度ほど眩暈が起こった。眩暈は座ったときに起こり、最初は地震が発生したのかなと思ったが、どうもそうではなく自分の視界だけが揺れていた。深酒した時に視界が回っているような感覚に近かった。1分ほどそのままで居たら治まって事なきを得たが、あんまりすっきりとしない。


仕事の一つとして営業さんが発注している商品の総括管理をしている。自分がメインで監視している商品の納期スケジュールをみるついでに、その日は業務に余裕があったので、担当外の商品の様子も何の気なしに眺めていた。眺めていると、これ納期大丈夫なのか?という商品(A商品とする)がたまたま目に付き、その商品を扱っている管理担当者に教えようと思い席を立った。そうしたら、ちょうどその時にA商品を扱っている営業さんが「この商品の納期大丈夫ですかね?」と管理担当者に話している所だった。ぼくも巻き込まれて話を聞いていると、今気付いて動き出してギリギリ客先に間に合う、というかなりタイトな状況だった。タイトでもなんとかなりそうで、ほっとした。(担当はもうちょっとちゃんとスケジュールを監視していてくれ、という思いはある)

ある事象が緊急性という属性を帯びて来ると、スピードと正確性がふつうの事象よりもはるかに多く必要となるため、それに多くのエネルギーを費やさなければならなくなる。その事象に集中できる状況であるならば良いが、そうでない場合は何かを犠牲にしなければ達成できないこともある。事象が緊急性を帯びた時点で戦略的には負けていて、戦術によって目的を達成せざるを得なくなる。それは組織の能力よりも個人の能力に依存する割合が大きくなるということでもある。

(もちろん)殆どの商品は基本的に余裕があるスケジュールを組んでいるから、こういうケースはまれである。でもまれとはいえ、それなりに発生する(本当は発生しちゃいけないのだけれど)。スッポリ忘れて何時の間にか納期に間に合わない、という事はまず無い。だいたいギリギリ間に合うかそうでないか、というタイミングで、どういうわけか(幸運にも)誰かが気付く。マーフィーの法則ではないのだけれど、どうもこういった『ギリギリになって気付く』というのはある種の体内時計めいた緊急性アラートみたいなものがあるふうに思う事がある。目覚ましをかけるのを忘れていて、目覚めると遅刻ギリギリ、でも頑張れば間に合う、といったボーダーラインのようなタイミングでなぜか起床できるという現象に近い。頑張れば間に合うということは、頑張らなければ間に合わないという事でもある。