レースを見送った事

自分には持病があって(病名は伏せます。そのうち書くかも)、1ー2年に1度の頻度で非常にきつい時期があり、今回レース前に発症してしまったので来週のレースを見送る決断をした。

1ー2年のスパンとはいえ、必ず発症するわけではない。放っておいても治る事があるし、予兆を見逃さなければ深刻にならない事も多い。今回も仕事中に予兆がありしっかりケアしたつもりだったのだけれど、じわじわ調子が悪くなっていった。その間なにもしていなかったわけではなく、市販の薬や漢方や療法を試していた(大抵はこれで何とかなっている)のだけれどなかなか快方に向かわなかった。最終的には寝てても痛みで起きるほどになってしまったので諦めて病院に行った。こうまでなると流石に数日間は日常生活に支障がある。発症し始めの頃は、この程度なら何とかなるだろうと思っていたが甘い見積もりだったようだ。「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」というふうだ。

親もその親も同じ持病を発症しているので、遺伝的にもともとその部分が弱いのだろうと思う。遺伝的に弱いという仮定が正しければ、この先一生この持病に悩まされるのだろうと思い、ちょっと気が滅入る。まだ今の年齢なら体力があるから何とかなるとはいえ、老人とかになってからだとホント辛そう。生老病死と昔の人はよく言ったものだなぁと思う。

レースとの関係でいえば、今から1週間後だと幾分か治っている予測はあるけれど、病み上がりで負荷の高いレースに出て再発するのも不安だし、そういった状態で最高のパフォーマンスが出せるとも思えないので見送るのは妥当な判断だろうとは思う。思っていても悔しい気持ちはある。なんで今よりによってこの時期に、という気持ちもある。とはいえ、いつ発症したとしても、多かれ少なかれ『なぜ今よりによってこの時期に…』と思うのだろう。

仕事がとか、遺伝子がとか、持病だからとか、どうこう理由というか言い訳を考えたとて、管理不足の結果レースに出られないという事実はただただ残酷にアウトプットとして顕れる。その事実に関しては素直に落ち込んでいる。

今回の事によって何を学び次に繋げられるかと考えてみるも、それほど学べる事も無い。無いというか明確で、『不安を感じたらすぐに病院に』だ。当たり前の事だ。ただその当たり前の事ができなかったというわけなのだけれど。それだけではあまりに間抜けなのでもう少し考える。①『不安を感じる』⇒②『病院に行く』の、①のスレッショルドを今後はもう少し低くした方が良いかもしれない。そこを定量的に計れれば悪化させずに済むだろう。痛みや違和感を定量的に計るのは難しいけれど、普段から記録を付けておくのが良いかもしれない。昔からなんとなく記録はしているが、もう少し詳細に書いておけば、次に発症しそうな時の指標にできる。ここまで書いていても、わりかし当たり前の事ではある。当たり前の事を地道にやっていく他ない。

静養している間、パフォーマンスが落ちていくのは口惜しい。大雨洪水で田んぼの稲が全滅してしまうのをただ観ている事しか出来ない農家の人もこういう気持ちなのだろう(よく分からないが)。自分はアマチュア(ホビーレーサー)だし、パフォーマンスがどうこういうレベルでもないし、今回のレース以外にもたくさん大会はあるわけだから、そんなに深刻に考える事も無いだろうと思うのだけれども、今回は結構練習を積んできたからそれが悔しさを助長していると思う。無駄に意識だけが高いというのもある。