流行りと好きの事

なんとか仕事を納め、一昨日からは年末年始のお休み。それほどいつもと違う事をするわけでもなく、いつも通りにローラーやったり本を読んだり。今日は朝ローラーをやったあと、適当に街に繰り出すかーと思っていたら、実家の大掃除なるものに巻き込まれた。一方リアル妹は始発でコミケに行った。不公平だ。スチームクリーナー(実家にこんな機械がある事に驚いた)を使い、風呂のカビを天井から床まで徹底的にやっつけた所で力尽きた。


少し前の話になるが、クリスマス前の三連休、土曜日の夕方、仕事を切り上げて美容院に行った(その日は休日出勤だったのです)。いきつけの美容院なのだけれど、美容師さんの指名はしない。以前はすごく話の合う美容師さんがいたからその人を指名していたのだけれど、辞めてしまってからは誰でもいいやと思うようになり、指名をしなくなった。その日も指名なしで行ったのだけれど、そこで担当してくれた美容師さんが同い年かつジョジョ好きという事が判明し、多いに盛り上がった。画集やフィギュアを集めるレベルのマニアで、こいつとは良い酒が飲めそうだというくらいのものだった。いろいろなジョジョ話をしているなかで、「最近のジョジョブームはどうもなんかアレですよね」みたいな事を言い合って、その時はさらっと別の話題になったのだけれど、なんとなく心に残った。


臆せずに書くと、何かを好きである事というのは本来、大多数と同じような方向を向いている状態ではなく、それぞれのユニークな『好きである事』が独立して存在しているという事ではないのかなと思う。漫画の台詞を一字一句覚えているとか、フィギュアを全部集めているとか、イベントに毎回必ず行っているとか、そういう『濃いめ』の好きもあれば、なんとなく週刊誌を立ち読みで追うとか、漫画喫茶で必ず読むとか、そういう『薄いめ』の好きもある。

こういった具合に色々あると思うが、それぞれ好きの表現は違うし、『濃いめ』の好きを全部出来ているから全世界中で一番好きかといえばそうではないと思う。『薄いめ』の好きが『濃いめ』の好きに負けているとも思わない。というか、そもそもとして、好きを比較すべきではないと思う。いうなればぞれぞれの好きは『レモン』や『みかん』や『りんご』のようなもので、それぞれが美味しさを比較できるものではないように。別に自分の半径5m以内に執拗に『好きを比較したがるやつ』がいるわけではないので、おれはまた見えない敵と戦っているだけなのだけれど。

一方、流行りものというか、流行らせるような動きがあるとき、大多数を一斉にある方向に向かせるようなベクトルが作用している感じがする。そういう流行りのなかの『好き』も、『好き』であることには変わりないし否定をする気はない。ただ、流行った結果あるいは過程において、形成される多数という『数字』が、本来数字や比較で計られることのない好きという概念に侵入(?)してくるような感覚が、自分は苦手なのだろう。