文章と対面のコミュニケーション

先日、趣味の飲み会を開催して大いに盛り上がったという話を昨日書いた。自分はウェイ系の飲み会はあまり得意ではないが、よくよく思い返してみると先日の飲み会は趣味でウェイウェイしていた気がする。

 

その会には何人かフォロワーさんも来てくれて、そのひとたちの話を聞いてたりしたが、ツイッターでの発信とはまた違うなーと思った。同じ趣味の話でも、ネットでしているのまた別の面白さがある。もっと言えば、直接会って話し合ったほうが断然伝わるし、大袈裟に言えば感動する。なによりコンテンツよりその人自身のことがわかるというのが感動する。

 

ツイッターなどでよく思うことだが(メールやLINEなどでもそうだが)、文章で書くとまさに書いてあること自体が情報の全てになってしまう。わりと感情的なことについて表現したいものを書いても、そこには空気感も表情もトーンもない。ただ文字があるだけだ。ただその文字を読んで、受け手は判断するのみだ。もちろん感情的なものを表現できる人も居るが、自分には難しい。だからクソリプというのは、受け手が悪いわけではなく、そういった文章でのコミュニケーションを行うにおいては避けられないものだと感じる。誰が悪いというわけでもなく、構造上の問題だと思う。(それに気付いてからは、顔文字をけっこう沢山使うようになった。)。

 

一方で、対面でのコミュニケーションだと、言葉もちろんそうだが、表情やトーン、場の空気感であったり、そういった沢山の情報があるので受け手は判断しやすい。また、受け手や場の反応もすぐ発信側がフィードバックを受け取れるので、それを受けて話を展開することもできる。なによりログが残らないので、ちょっととちった事を言ってしまっても即訂正あるいは流すことも容易い。

 

なんだか一周回って元に戻ったみたいな気づきなのだが、最近とくにそう思うことが多いので書いた。