いろんなものでできている

数日前。「(打ち合わせに)行ってきます。」と上司に声をかけ、自分から手を出して上司と握手をしたその直後にハッとした。あ、『出がけの握手』をした、と思った。この『出がけの握手』は、おれが今の会社に入った当時の直属の上司がよくやっていた所作だ。ネーミングは今考えたんだけど。


その上司と始めて会ったのはまだ前職の頃で、転職の面談で始めて会った際に握手をしてくれたのを覚えている。始めて会って、しかも面談の前にいきなり握手なんだ、と当時はちょっとびっくりしたものだ。握手って、当時はちょっと恥ずかしい感じもあった。会社の文化だと彼は言っていた(実際にそういう文化であることは入社後に改めてわかった)が、彼ほどたくさん握手をしている人を見たことはない。入社後も事あるごとに上司と握手をしていた。何かを達成した時や、一緒に打ち合わせに行って別れるときなど。そしてもう一つ、これからここ一番の打ち合わせだというときに気合を入れるための『出がけの握手』だ。特に仕事を覚えたての頃はその握手でとても勇気をもらえたものだった。もう何百回やったか分からない。


入社後数ヶ月してその上司は別部署に配属になり、拠点も異動となったため会えていない。そんな上司から教えられた『出がけの握手』を、いつのまにか自然に行っているということを、その日久しぶりに自覚した。すっかり習慣になったということだろう。こういうふうに習慣が人との関わりで作られることがあるのだと思った。そして習慣というのは、その人そのものとなる。自分はすっかり『握手をする人』になった。

 

『ちやはふる』という漫画でこんなエピソードがある。かるた部部長の太一が大会でメンバーに『「だって」と「でも」(言い訳)は禁止だ!うちは小3の頃から母親にそう躾けられた。』という。主人公の千早はそれを聞き、『私、太一のお母さん怖くてちょっと苦手だけど…。すごいねえ。太一のそういう強いところはお母さんがつくったんだねぇ。』と褒める。その言葉を受けて太一は、母ではなく自分のライバルを思い出しながらこう思う。『千早、おれはいろんなものでできてるよ。おまえだってそうだろう?』と。


いろんなものでできているおれは、今日また一つ歳をとった。そしてまたこれから先、いろんなひとのいろんなものでできていくだろう。