流れとか勢いとかリズムとかストーリーとか

ここのところお金に関する個人的な事故が多い。ここ一週間くらいの間でも、等分のはずの飲み会費用がなぜかおれだけ高かったり、自分で企画した会の会費を集金することを忘れたり、お客さんのところに行く電車が故障で止まりタクシーを使うハメになったり(タクシーを年1回乗るかどうかというレベルのおれにとっては超レア事件である。だいたい、タクシーに乗ること自体あまり気に入らない)、これまた別のお客さんの書類不備で遠くの駅まで自費で行くことになったり(こういった手戻り自体起こることが少ないのに、2回も発生した)。

 

こんなことを書いたが、自分はそれほど、流れとか勢いとかリズムとかいう概念を信じない。上に書いたことだって、たまたま重なったお金に関する事故(?)を集めて過去を振り返ったら、なんとなく流れめいたものが出来ているだけのことだ。そんなものはねぇ。すべては独立した事実にすぎない。明らかになった事実に関して、あとから理由づけしているだけのことだ。でも、一つ一つを関連付けてみるとそこに流れ、勢い、リズム、ストーリーみたいなもの(あくまで『みたいなもの』)が作られる。そういうふうな考え方そのものは理解できる。

 

重要なことは、その流れとか勢いとかリズムとかストーリーを認識してそれが自分の役に立っているかどうかだと思う。自分の精神安定上、役に立つストーリーならいいが、そうでない(こういうことが立て続けにおこって不幸だー、もうだめだ、というふうに自己評価が落ちたり精神的に落ち込んだり)ならば、それは意図的に断ち切る必要があるように思う。

 

どう考えようとも無駄に失ったお金は返ってこないのだが。