占い(命)への反応

戯れにタロットをやったりしているが、基本的には占いは信じない性質である(支離滅裂な発言・思考)。フェニックス一輝も、神仏は信じない、信じるのは己の実力のみ、とか言っていた。もう少し正確にいうと、占いの種類のうち、命、卜、相があるが、命をあまり信じていないという感じである。命は統計の一種でもあるから、完全に信じないわけではないが、ふーんという感じである。

 

ただし、信じる信じないと、出た結果に対する行動は別である。そういった話を友達と飲みながらした。

 

例えば、命(どーぶつ占いとか、誕生日占いとか、血液型占い)で、あなたはこういう性格です、こういう良い面があるでしょう。一方でこういう悪い面があるかもしれないので注意です。といった感じで診断されるとする。それが当てはまっていようが当てはまっていなかろうが割とどうでもよくて(結果をワイワイ言って場を盛り上げたりすることはあるかもしれないが)、特に悪い面に関してはなんであろうと注意したほうがいい、と思っている。悪い面というのは、ある意味だれにとっても共通な要素があると思うからである。

 

例えば仮に悪い面というのが、『あなたは好き嫌いが明確なため物事をはっきり言う傾向があるので、知らずしらずのうちに相手の印象を害しているかもしれません。』という要素だったとする。その悪い面が当てはまっていて、100人に接している中で40人くらいにその態度をとってしまっていたとする。その占いに従って、その悪い面を直すことができれば当然かなりのプラスである。

 

一方、その悪い面が当てはまってないとして、100人に接している中で4人くらいにしかそういう悪い態度が出ていないとする。だとしても、その占いに従って、悪いとされるその態度に自覚的であれば、さらによいコミュニケーションをとることができる可能性がある。

 

そう考えると、命の占いもちょっと面白いものに思えてきた。