『スリー・ビルボード』

ミズーリ州の片田舎でレイプ殺人が起こる。犯人が見つからないまま半年以上が経過し、その母親が看板にとある広告を掲出する。3枚の看板には大きく、『RAPED WHILE DYING』『AND STILL NO ARRESTS?』『HOW COME, CHIEF WILLDOUGHBY?』と書かれており、警察を非難する内容のものだった。警察署長は被害者の母親に説得を試みるが...

あさひなぐ』の作者がツイートしていたのを見て気になっていた作品。TSUTAYAで借りて観た。

話のきっかけがそもそも重いが、展開もまた輪をかけて重い。わりと気が滅入る。のだが、とても面白かった。ややクリントイーストウッドの『ミスティックリバー』を彷彿させる。人生思い通りにいかねーなあという感じ。この手の話は自分的にはすごく好きである。

ミズーリがどういう地域なのかは浅学のため分からないが、片田舎のダサい(失礼)感じがすごく出ていて、そういう文化を感じられるのもよかった。黒人は差別され、警官は暴力や暴言を平気で振るう。服装のセンスもどこかダサいかんじ。

被害者の母親が起こした行動がきっかけになりにわかに町が騒ぎ出す。怒りや憤りを向けられた登場人物たちもまた、憤りや怒りに駆られて行動する。その行動が思いも寄らぬ形で連鎖していくのが重いのだが面白い。登場人物の行動すべてにきっかけがあり、そのきっかけ自体はとても些細だ。近くにいた人がポロっと零した呟きのようなものが、とんでもない行動と結果を引き起こす事もある。特に、最初の事件の直接のきっかけになったのは、母親と娘の喧嘩である(ことが後に明らかになる)。つらい。

事件そのものを引き起こしたレイプ犯を除いて、善悪はっきりと分けることが難しい人間関係が描かれているのも好きだ。例えば被害者の母親が怒りの矛先を向ける警察署長は、ずっとレイプ犯の捜査を続けており家族愛に満ちた人格者である。また、被害者の母親自身もろくでもない面をたびたび見せる。そういった人の二面性に触れることができ、人間ってそういうもんだよなと妙に共感させられる。

最初から最後まで重いし誰も幸せにならないような話なんだけれど、それでも悲しみや怒りの渦中にいる人々がちょっとだけ見せる優しさや慈悲や赦すということ。重いけれど閉塞的でもなく、どこか救いがある空気感。そうやって人を信じたくなるような話だった。