finalventさんの『考える生き方』を読んだ事

著名なブロガーで自分としても数年来ブログを興味深く読ませて貰っている@finalventさんの書籍『考える生き方』が先週発売されたので、購入して読んだ。

考える生き方

考える生き方

本書はfinalventさんの自伝といってよく、ブログ『極東ブログ』や『finalventの日記』にときおりふっと表れる私生活や人生の出来事について詳しく書かれており、ファンとしてはそういったプライベート(?)な部分に触れられるというのがまず嬉しい。同時に、ブログに普段書かれている話題やその考え方は、『考える生き方』に書かれている人生を歩んできた事が背景にあるというのがわかって、当然といえば当然なのだが、その繋がりが本書を読んだあとにブログを読むと改めて見えてくるのがまた興味深く楽しい。「以前日記に書いていた話はこの事が背景にあったからなのだな」という繋がりがわかり、さながらブログと書籍が相互補完的であるような感覚を受けた。

自分の人生は『からっぽだった。』と1ページ目(表紙)から述懐する。55歳まで生きて、高度に専門的な職能や知識を身につけ、ご家庭を持ち(失礼だがこれは本当に意外だった。ブログではそういった気配がまったく感じられなかったので)、それでも『からっぽ』で『敗者』だという。ただし敗者でもからっぽでも、それなりに豊かに希望を持ちながら生きていける、という。それは普通のあり方だけれど、普通だからこそ読んでいて得られる知見は多い。たぶんこういった本は、読む人の年齢にによって得られるヒントは全く異なってくるのだろうなと思う。ぼくの場合、学校を辞めたり、職を転々としたり、社内の内部抗争に巻き込まれたりといった部分は、どういうわけかぼくの人生にびっくりするほど当てはまるので、第1章『社会に出て考えたこと』は特に共感して読んだ。

これを読んでいるぼく自身は31歳。著者は「若い頃に描いていた希望と比較すれば、大抵の人は敗者になる」といい、さらに「30代のころ、からっぽの人生になるんじゃないかと薄々確信した」という。この部分については、現在進行形の実感として非常にそう思う。「まだ何かやれるんじゃないか。でもないんだろうな。」みたいな感じ。それを受け止めて折り合いがつくものかなと薄ぼんやりとした不安はある。finalventさんにしてみると、どうやらつくものらしい。

考えて生きる、というのはどういう事なのか。著者は『考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生となる。』という。本書を読んで著者の考えに触れていると、それは、自分が経験する環境や状況の構造や背景を理解して、そこから進むべき道を考えようと努める事なのかなと思う。

『なぜこんな(不幸な)境遇に遭うのか』という問いについては、著者自身も病気の経験の章で触れているが、なかなか難しい。何か道徳的に悪い事をしてしまったからなのかと、どうしても考えてしまう。著者はヨブ記を引き合いに出して、あまり心の問題として捉えなくて良いのではと書いている。(この辺りの考えについては、著者がブログでお勧めしていた『なぜ私だけが苦しむのか』という本が非常に参考になる。この本にもヨブ記の下りが多く出てくる。そもそもサブタイトルが『現代のヨブ記』なのだけれど)

本書を読んだり、最近折に触れ考えている事としてはこうだ。人生の手応えとして、内面になにかはっとする『すげぇ発見』みたいなものに出会えることは多分それほどなくて、人生の手応えというのは、砂の粒を積んで行き山にしていくようなものなのかなと思う。何十年も積んで積んで、それでようやく山のような形が朧げに見えてきて、「これが自分の人生だな」と了解するような感じ。誰でもそういう積み重ねてきた人生があって、それをfinalventさんのような(自称)普通の人が、自伝という形で表現する事は、確かに、他の普通な人の希望になるのではないかと本書を読み終わって感じる事だった。