ビジネスと合理的な選択の事

雨降りの日曜日。早朝にサッカーをやっていたのでローラーを回しながら観る。ひどく負けて終わる。終わってからはちょっと課題に取り組み、女児アニメを観てからいつものミスドへ行く。


会議で不具合商品の議題が持ち上がり、どういうわけか社員で手直しをすることになった。そのため先日は倉庫に出張へ行っていた。

返品されてきた商品の不具合はちょっと手直しした程度で元通りになるものでもなく、けれども再出荷納期が迫っている事もあり付け焼刃の処理で出すことになる。その場にいるほぼ全員が、間違いなく再クレームになることが分かり切っていながらも、やらざるを得ないという状況に腹を立てつつ黙々と作業を行った。個人的にはいつもの仕事をしなくてよいし、作業自体も退屈せず取り組めてなかなか楽しかったけれども。

手直しにかかる諸費用や再クレームのリスクを考えれば、手直ししない方がビジネス的には明らかに合理的な選択のはずなのだけれど、商品責任者である偉い人の面子を立てるために大ボスもやむなく手直しする事を決めたようだった。しかし面子を立てるとはいえ、再クレームになればやっぱりその面子も潰れてしまうはずなのだから、結局会議から再クレームになるまでの期間の面子を立てた、という事になるのだろうか。ひょっとしたら大ボスは再クレームから偉い人の責任追求までを織り込み済みなのかもしれなかった。

決して小さくないビジネスの経営合理的な選択が、個人の、感情というか、都合や誇りや面子やらなにやらで賢くない方向に進んでいってしまうのは、なんというかちっともビジネス的じゃあないふうに思う。ただひどく政治的ではある。ビジネスに感情が入り込むとお金がかかる。