時間の使い方の事

雨の日曜日。早起きして勉強とローラー回し。あるブツを取りに車で都内某所へ。比較的早い時間に出たおかげか、道行く車はまだ少ない。雨脚は安定しないが自転車で走れない事は確かだ。

最近は少しだけライフスタイルが変わってきていて、プライベートの時間を自転車とか筋トレとかローラーとか以外にも使わなくてはいけなくなってきた。今までよっぽど自転車関連の事しかやっていなかったのかよという感じだが、そういった新しい事もそれなりに可処分時間の中で回せているような感触はなんとなくある。努力してそうなったみたいな事を言うつもりはなく、なんとなくバランスが自然に取れていくという印象。やりたい事に対する時間が、十分とは言えないまでも、やや満足あたりで妥協できる程度に取れているというのは、自分にとって有難い幸運ではある。

可処分時間が100あるとする。それを100全部自転車に使っていたとして(そんな事はないのだが喩えとして)、新しい事で40使う事になった時、本当なら140欲しいけれど殆どの場合不可能で、100ある中で工面せざるを得ない。そうして自転車に60くらいまでしか使えずに詰めなくてはいけなくなった場合でも、効果まで60になるわけではないなというのが実感。80ー90くらいの効果は出ているような気がする。結果として100ある時間が濃くなっていくような感じはある。


自分がそうだというつもりはないが。仕事は忙しい人に頼め、という、その人をリスペクトしていると同時にわりと迷惑っぽい格言があるが、それも似たようなものだと思う。まぁこれは正確には『仕事は忙しい人でかつ締切を守ってくれる人に頼め』になるのだろう。忙しくても締切を守れる人は仕事が降ってきても、増えない時間の中で何とかしてこなす。それは単純に処理速度を上げるという力技や、上に書いたような『なんとなくバランスが自然に取れていく』以外に、なんらかの工夫をする事で仕事をこなしているのだと思う。その『なんらかの工夫』についてはもう少し考えていきたいなと思う。