過去のハードル

先日、5万年ぶりにミスドに行った。地元のミスドが随分前に閉店してしまって以来、足が遠のいていたのだが、お客さんとの打ち合わせで使った。お客さんの近場の駅前のミスドでという指定があったのだった。朝ミスドである。朝セットだと安いし、人も少なくて静かでよい。

 

自転車をバリバリやっていた頃、休みの日は早朝にローラーをやりながらニチアサを観て、そのあとミスドに行き朝セットを頼むというルーチンがあった。オールドファッションを食べながらブログを書いたり本を読んだり勉強したりしていた。お昼前にミスドを出て、昼飯を食べるか買って帰り午後は回復のため昼寝をする。そんな生活だった。その前日がけっこうハードな終わりだったとしても、わりと休日のルーチンは保っていた。

 

いま、ふと休日の朝昼に時間ができても、そのルーチンに立ち戻ることができない。その理由はたとえば仕事への緊張感であったり、すっかり習慣を忘れてしまった身体であったりするが、バリバリやっていた頃の身体水準に戻れないだろうと思い込んでいることも大きい。思い込みとあえて書いたが、今の生活上一定の時間を自転車に費やすことが不可能なので、やはり戻れない。べつにあの頃の水準に戻れないとしても、たとえば30分程度ダラダラローラーするだけでも健康的でいいじゃんと思う。ただ、その程度のモチベーションではなかなか腰が上がらないものだ。どうせやるなら過去の水準まで戻したい。でも困難だ。そんな過去に自分が飛んだハードルが、今の自分を躊躇させている。

 

ルーチンだった時はこんな面倒なことを考えていなかった。というより、ルーチン化するということはシンプルになっていくということだろう。それがいいとか悪いとかではなく、環境が変わると考え方も変わっていく。