アニメ『シュタインズゲート・ゼロ』感想

全話視聴。ネタバレ感想あり。ちなみに、無印ゲームはプレイ済み、無印アニメも視聴済み、ゼロゲームは未プレイ。

 

倫太郎は“彼女”への想いもタイムマシンへの情熱も封じこめ、ラボへもほとんど足を運ばず、ごく普通の大学生活を送るようになっていた。 そんなある時、大学のセミナーで一人の女性と出会う。

 

最終話まで観ての自分の評価は、なかなか良かった。鳳凰院狂真復活ッ!鳳凰院狂真復活ッ!は胸が熱くなったし、8話のクリスとのやりとりも良かった。まゆしぃの想いや行動も良かった。何よりも、無印では孤独な戦いを強いられていたオカリンに対し、ゼロでは生き残ったラボメン全員で世界線を目指すという物語の構造が良かった。そして、おれが好きな鈴羽がかなり全面に推し出されていたのが本当に良かった。ホント鈴羽は孤独でも諦めずに頑張っている良い奴なんだよ…幸せになって欲しい…エル・プサイ・コングルゥ。全編通して要所要所で泣けるポイントが多かった。最後はハッピーエンドだし、これで良いと思える終わりだった。

 

一方でモニョる点も多い。

 

結局この話は、あのビデオレターが作られるまでの物語であると観ていいだろうと思う(鳳凰院狂真が復活する話ではない。自分はそう観た。)。だから、無印岡部が『世界を騙す(=事実は異なるが同じ2つの観測をした場合、どちらでも同じ世界線に収束する)』ということのアドバイスを、ゼロ岡部から受ける。そのアドバイスをもって無印岡部はタイムリープしSG世界線に辿り着く。そこにシュタインズゲートという物語の最大のギミックがあると思う。

 

ところがゼロ岡部がその『世界を騙す』という方法に気付く場面(またはそれを示唆するような類似の展開)が、このアニメでは最後まで無いのだ(いや、あるのだという人は教えてください)。そのことにかなりの違和感を覚える。というか、ここを表現しないと意味のある物語の積み重ねになっていないように思える。そこに気付いていないのに何であのビデオレターのアドバイスできるの?って思ってしまう。というか、率直に思った。

 

もう1つ、強烈に違和感を覚えた点としてはリアリティレベルがある。リアリティ教でもリアリティ警察でも無いのだが。無印では世界大戦が起こるか起こらないかくらいのところで揺れ動くストーリーだったのと、中二病というエッセンスが大きかった。また、なんだかんだ言っても最終的に世界大戦は回避される(トゥルーエンドの場合)。そのため、どこかシリアスな中にものんきな雰囲気があり、またそれが許容される空気があった。セルンにハッキングしちゃいました!とか、タイムマシン作っちゃいました!とか言うのも割と受け入れられる素地があった。要はそのくらいのリアリティでもオッケーという空気感があったのだ。

 

ところが、ゼロの世界線(ストーリーライン)では世界大戦が起こってしまう世界だ。その前提で話が進むのに対し、ラボメンのような一般人の寄せ集めでレジスタンスに成りうるか、いや…無理じゃね?とか考えてしまう。こいつら生き残れないでしょ?みたいな。要は無印よりシリアスな世界なのにリアリティが無印と同じ程度になってしまっているという事に違和感を覚える。世界大戦時でもラボメンがレジスタンスに成り得るくらいリアリティが欲しかった。だが、ここは単純に自分の好みの問題だと思う。

 

最後に、アマデウス(AIクリス)のファンタジック感がかなりファンタジーだった。上に書いたリアリティレベルに類似する話ではある。ファンタジーのAIというと、チェインバーとかADAとか映画でいうと『SHE』とか『2001年宇宙の旅』とかミスタースポックとか、その辺りの合理的かつ冷静なものを想像していた。恥ずかしいとか恋だとかそういう感情を排したAIなのかと思ったら、普通に人間的な感情のある感じだったのでズコーとなった。AIというおれの認識の仕方に問題が有るのかもしれない。

 

総括して、補完する物語としてはアリだが、けっこう重要な部分を詰めきれていないなという印象だった。でもファンなら観てみると感動もけっこうあるよ、そんな感じ。