MOLDEXの耳栓

昨日はすげー台風だった。風で家が揺れた。すわ地震かと思うほどの揺れだった。寝たい時間に雨風がピークに達していたので、久しぶりに耳栓をして寝た。

 

耳栓は、昔は自転車の大会で前泊した際によく使っていた(お隣がうるさいときもあるので保険のために常備していた)。いくつか試したが、結局MOLDEXの耳栓に落ち着いた。サイレンシア(NASAが開発したとかどうとかいうやつ)のやつはすぐ耳から抜けてしまいだめだった。シリコンのやつは硬くてだめだった。

 

MOLDEXの耳栓は低反発のクッションみたいな感触だ。こんな感じで指で潰す。

 

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そしてフォームが戻る前にダッシュで耳穴に突っ込む。耳の穴の中でフォームが戻ればOK。

 

遮音性はちょうスゴイ。雨風の音は全く聴こえなくなり、雨戸がガタガタしていた音が遠くで「…コツン…コツン」と聴こえてくる…かな?くらいのレベルになる。

 

ただし、圧迫感はけっこうあるので、自分の場合はたいてい寝てる間に耳栓を抜いちゃってることが多い。

 

下記のパックはいろんな形状があってお試し価格で買えるのでオススメ。

 

 

映画『ピーターラビット』感想

映画館で観た当初の感想をアップする。ネタバレあんまりなし。

 

レイトショーで観た。親子連れやカップルなど2人以上で観ている観客が多かったふうに思う。

イギリスの田舎町、4匹兄弟の中でも悪戯好きのピーターは今日もマクレガーさんの畑を荒らす。殺るか殺られるかのバトルを繰り返す日々だったが、ある日マクレガーさんが心不全で亡くなる。家主がいなくなったマクレガー家を乗っ取り乱痴気騒ぎに興じるピーター以下動物たちだが、親戚の若マグレガーが移り住む事になり…


なかなか面白いコメディ映画だった。ただけっこう人を選ぶように思う。じゃあそれでいて、選ばれる人、ターゲットはどのあたりなのだろうと考えると、イマイチ分かりづらい。結論からいうと、ターゲットを広く取りすぎて焦点がブレているように感じた。面白いっちゃ面白いのだが。自分はかなり肯定的なスタンスで観ていたがけっこうつまらないギャグもあった。場面によっては一気に冷めちゃう人もいるだろう。また、ツイッターの感想見て期待値を上げすぎているとつらいと思う。


メタ的なギャグが多い(いわゆる『第四の壁』を越えて語りかけてくるギャグ。例えば、冒頭で、雀が飛びながら爽やかな歌を歌うところに『こんな牧歌的な映画じゃねーから!』みたいなツッコミをいれながらピーター登場、みたいな。)。こういうノリが苦手な人は厳しいだろうと思う。かと思えば、子供騙しのようなギャグからシュールなもの、イギリスらしいブラックジョークまで幅広い。広すぎて、笑えるものと笑えないものの差が激しい。それでも後半になるにつれてノリと勢いが加速してくるので、区別なく面白くなってくるのだが。


ストーリーに関しては、ウサギ連合VSマクレガーの戦いと、マクレガーとビア(ヒロイン)のラブロマンス、そしてビアを巡るピーターVSマクレガーという構図になっていく。ラインはしっかり出来ているし、激化していく争いが産む悲劇からその収束までしっかりと書けている。ストーリーがしっかりしているので、後半からギャグとバトルのテンションが上がってきてラストまでしっかり盛り上がる。


リアリティはほぼ無い。良い意味でも悪い意味でも。このポイントを、観る側が序盤で同意を取れていないとかなり厳しい。導入時のメタギャグと、ウサギが服を着ている時点で察しろなのかもしれないが、それにしては造形がリアルすぎるので、リアルレベルの腹の落とし所が難しい。バトルも荒唐無稽である。ダイナマイトと電柵を、人間ではなく動物が使いこなすんだぜ。なんかもうちょいウサギの生態とか動物の特徴を活かしたキャラだったり、動物の豆知識みたいなものを散りばめていくかと思ったが別にそんなことはなかった。


ピーターは、イキってるインテリ不良みたいな感じのキャラで、個人的にはあまり好きな感じではないが、まぁウサギ相手にイラついても仕方ない。 ベンジャミンはデブの親友枠。


なんか教訓めいたエピソードも特になく、でもきっちり良い場所に着地するストーリーで、ギャグもそれなりに面白いので、期待値をあまり上げすぎないで観ると良いと思う。ただし、千葉繁のニワトリはガチ。すげぇ。吹替版をオススメする。

 

 

『羊と鋼の森』(書籍)感想

羊と鋼の森 宮下奈都

 
自分がこの本を手にしたきっかけは、映画館で実写版の予告を見て、実写には興味が無かったが映画化する作品なのだからきっと原作は面白いのだろうと興味を持ったからだった。


外村という青年が、ピアノ調律師に出会い、その音に惹かれて自分も調律師になる、彼の成長物語となっている。

 
ピアノ調律師という、「職業名は知っているけれど何をしているかよくわからない人たちの仕事」にスポットが当たっていて、その仕事の内容だけでなく、どういった気持ちや使命を持って働いているのかが見られるのも面白い。

 
登場人物がみんな常識人かつ良い人が揃っている平和な世界である。何か大きいトラブルが起こるわけでも、立ち直れなくなるほどの絶望があるわけでも、苦しんだ先の大きな感動があるわけでもない。そういった起伏に多少乏しい展開は、読んでいて多少肩透かしを食らったのも事実だ。ただ、主人公がピアノとそれに関わる人達を通じて、少しずつ気付きを得て少しずつ成長していく。主人公の仕事仲間である先輩たちは、尖った個性を持っているわけではないが、それぞれプロフェッショナルな仕事ぶりで主人公を教え導く。この職人然とした先輩たちが地味だがカッコいい。

 
主人公は朴訥で真面目、特別な才能に恵まれてもいない普通の人なので、読む側も彼と同調しやすい。しばしば音のイメージを森に喩える彼だが、表現力が豊かで読んでいて心地が良い。著者の文体がとても読みやすいのもあるだろう。静かでやわらかくするすると読み進むことができる。やさしい世界で強く生きる人たちの物語を感じたい人にオススメ。

 

 

 

投資話の思い出

また騙されかけた話の続き。こっちはわりかし最近の話になる。

 

今の仕事に転職する際、前職時代の先輩に相談をしに行った。その前職の先輩(仮に小橋さんとする)はおれより数年前に今の職場を辞め、これからおれが行く業界に転職されていたので(今は辞めてまた違う仕事をしていたのだが)、経験者だから色々と相談させてもらいたくて会った。

 

飲み屋で色々話しているうちに「この業界は人脈が大事だから自分の知り合いを紹介してあげよう」と言ってくれた。新しい業界で不安だったので正直とても嬉しかったし、有難いなと感じた。

 

後日、小橋さんの友達2人と計4人で会い、また飲んだ。少し飲んでから唐突に小橋さんがその知り合い(仮に宮城さんとする)に、「宮城、そういえばあの出資増額する話どうなった?」と唐突に話し始めた。

 

宮城さんは「凄く魅力的ですよね!ぼくもう150万くらいやってますけど、あと50万追加しようと思ってるんです」とか言い出した。もう1人の石田さん(仮)が続いた。「100万出して6ヶ月寝かせたら毎月20万がずっと振り込まれるって凄いですよね〜。しかも初月にいきなり5万ちゃんと振り込まれたし。不労所得じゃないですか」ん?「おれ(小橋さん)その経営者(?)とこの前六本木のバーで飲んでさー、『小橋くんめっちゃ面白いし頭良いから頼りにしてるよ』とか言われたんだよなー」「「エッあの人と?すごいですね!」」んん?「だいたい上手い話って投資が殆どなんだけど、これは出資だから全然違うんだよ。おれも最初疑ってたけどあの人から話を聞いたらすげえよくわかった」「「ですよね!!」」以下略。その後の残り時間2時間はその話だけで終わった。(注:上に出てくる金額はうろ覚えなので大体の数字だと思ってください)

 

後日、小橋さんからLINEで連絡があり、この前話してた出資のセミナーがあるという。出資を募ってるのはここで一旦終わりになるので、この機会を逃したらもうしばらくこんな話は無いよという。そのセミナーの日は、おれの入社日の前日だった。

 

LINEで、ありがとうございます、非常に貴重なお話して頂き感謝しています、でも自分で考えた結果止めておこうと思います、これからも自分は投資や出資をするつもりはありません、でも親身になってご相談頂きありがとうございました、と伝えた。

 

数分後、突然連投でLINEが来た。「聞く前にやめるなんてアホいないよ?」「勉強になることもある」「昔のダメダメなお前に戻りたいのか?」「視野を狭くするな!」「理由をいえ!」など有難いお言葉の数々を連投でいただき、最後

 

「人に利用されてもいいけど、人を利用するな!」

でそのLINEは締めくくられた。

 

その後、小橋さんとは連絡を取っていない。そこで知り合った出資したという友達からも連絡はない。ちなみにその出資の会社だが、半年後にちょっと好奇心で調べてみたら、金融庁から販売免許が無いということで警告を受けていた。

 

無登録で金融商品取引業等を行う者について(Uzu Capital Partners株式会社):財務省関東財務局

 

 

アニメ『シュタインズゲート・ゼロ』感想

全話視聴。ネタバレ感想あり。ちなみに、無印ゲームはプレイ済み、無印アニメも視聴済み、ゼロゲームは未プレイ。

 

倫太郎は“彼女”への想いもタイムマシンへの情熱も封じこめ、ラボへもほとんど足を運ばず、ごく普通の大学生活を送るようになっていた。 そんなある時、大学のセミナーで一人の女性と出会う。

 

最終話まで観ての自分の評価は、なかなか良かった。鳳凰院狂真復活ッ!鳳凰院狂真復活ッ!は胸が熱くなったし、8話のクリスとのやりとりも良かった。まゆしぃの想いや行動も良かった。何よりも、無印では孤独な戦いを強いられていたオカリンに対し、ゼロでは生き残ったラボメン全員で世界線を目指すという物語の構造が良かった。そして、おれが好きな鈴羽がかなり全面に推し出されていたのが本当に良かった。ホント鈴羽は孤独でも諦めずに頑張っている良い奴なんだよ…幸せになって欲しい…エル・プサイ・コングルゥ。全編通して要所要所で泣けるポイントが多かった。最後はハッピーエンドだし、これで良いと思える終わりだった。

 

一方でモニョる点も多い。

 

結局この話は、あのビデオレターが作られるまでの物語であると観ていいだろうと思う(鳳凰院狂真が復活する話ではない。自分はそう観た。)。だから、無印岡部が『世界を騙す(=事実は異なるが同じ2つの観測をした場合、どちらでも同じ世界線に収束する)』ということのアドバイスを、ゼロ岡部から受ける。そのアドバイスをもって無印岡部はタイムリープしSG世界線に辿り着く。そこにシュタインズゲートという物語の最大のギミックがあると思う。

 

ところがゼロ岡部がその『世界を騙す』という方法に気付く場面(またはそれを示唆するような類似の展開)が、このアニメでは最後まで無いのだ(いや、あるのだという人は教えてください)。そのことにかなりの違和感を覚える。というか、ここを表現しないと意味のある物語の積み重ねになっていないように思える。そこに気付いていないのに何であのビデオレターのアドバイスできるの?って思ってしまう。というか、率直に思った。

 

もう1つ、強烈に違和感を覚えた点としてはリアリティレベルがある。リアリティ教でもリアリティ警察でも無いのだが。無印では世界大戦が起こるか起こらないかくらいのところで揺れ動くストーリーだったのと、中二病というエッセンスが大きかった。また、なんだかんだ言っても最終的に世界大戦は回避される(トゥルーエンドの場合)。そのため、どこかシリアスな中にものんきな雰囲気があり、またそれが許容される空気があった。セルンにハッキングしちゃいました!とか、タイムマシン作っちゃいました!とか言うのも割と受け入れられる素地があった。要はそのくらいのリアリティでもオッケーという空気感があったのだ。

 

ところが、ゼロの世界線(ストーリーライン)では世界大戦が起こってしまう世界だ。その前提で話が進むのに対し、ラボメンのような一般人の寄せ集めでレジスタンスに成りうるか、いや…無理じゃね?とか考えてしまう。こいつら生き残れないでしょ?みたいな。要は無印よりシリアスな世界なのにリアリティが無印と同じ程度になってしまっているという事に違和感を覚える。世界大戦時でもラボメンがレジスタンスに成り得るくらいリアリティが欲しかった。だが、ここは単純に自分の好みの問題だと思う。

 

最後に、アマデウス(AIクリス)のファンタジック感がかなりファンタジーだった。上に書いたリアリティレベルに類似する話ではある。ファンタジーのAIというと、チェインバーとかADAとか映画でいうと『SHE』とか『2001年宇宙の旅』とかミスタースポックとか、その辺りの合理的かつ冷静なものを想像していた。恥ずかしいとか恋だとかそういう感情を排したAIなのかと思ったら、普通に人間的な感情のある感じだったのでズコーとなった。AIというおれの認識の仕方に問題が有るのかもしれない。

 

総括して、補完する物語としてはアリだが、けっこう重要な部分を詰めきれていないなという印象だった。でもファンなら観てみると感動もけっこうあるよ、そんな感じ。

マルチ商法の思い出

ネットでちょっと話題になった話に関連して。

 

20歳くらいで大学に通っていたころ、小学校の頃の友達から突然電話が掛かって来た。もう数年も会っていないやつだ。久しぶりでお互い大人になったし飲みにでも行かないかという電話で、おれも久しぶりにそいつに会えることが嬉しかったので会う事になった。そいつを篠宮(仮)とする。地元の駅前の飲み屋で会った。篠宮とは中学も別々だったので、久しぶりに会えて嬉しかった。酒が進み、どういう流れになったか忘れたが篠宮は、おれはいまビジネスをしている、すごいビジネスの師匠が居るのでOYNMKに会わせたいんだ、という事を言い出した。良く分からないがとりあえず会うだけなら、ということで、半分酔った頭で了解した。

 

その日はなにもなく解散したのだが、翌週の金曜の夜に突然篠宮から電話が掛かって来て「明日師匠に会わせたい」と言い出した。えっと思ったが予定も無いしということで了承した。翌朝7時頃に車で乗り付けて来た篠宮と共に、師匠が居るという都内の事務所に向かった。

 

その師匠は人当たりはとてもよい人物だった。30代前半くらいだったろうか。トークも上手かった。妻も子供もいるが、何もせず?月収50万?を稼いでいるという。その仕組みを懇切丁寧に喋ってくれた。当時は全く知らなかったが、今思い出すと100%マルチ商法だった。篠宮も、その師匠に話を聞いてすげぇ稼げるんだと知った、おれは親父を越えたいと思って今の仕事を頑張り始めている、まだ結果は出てないけど必ず勝ち組になれる、そういう風に熱く語っていた。まずは母親のために稼いでドラム式の洗濯機を買ってあげるんだ、そう言った。OYNMKよ、お前に夢ややりたい事はあるのか、そう聞かれた。当時は通っていた大学にあまり意義を感じられず、夢も無かったので、親父を越えるという夢があると言った篠宮を羨ましく思ったのは確かだ。そう素直に伝えた。そうしたら、それなら大学を辞めて一緒にビジネスやろうぜ、一緒に頑張ろうと2人ともサラっと言い放った。何故そうなる。

 

その後どういう話をしたのかはよく覚えていない。おそらくおれは曖昧に『考えておきます、今日は決められません』くらいの話でその場を凌いだのだと思う。そのとき直感的に『これは危ないな』と感じたのだろう。その日、篠宮と別れたあとはこいつからの電話を一切取らないことに決めた。なんとなくおれのゴーストが囁いた。何回か電話が掛かって来たがすべて無視した。そのうち連絡は来なくなった。15年以上経った今、篠宮が何をしているのかは分からない。なぜならこの前久しぶりに電話を掛けてみたら、『この番号は現在使われておりません』となっていたからだ。

 

今いる居場所を否定し、新しい場所はこれだけ素晴らしい、その素晴らしい場所で自分はこれだけ成功している、あなたもこれをするべきだ、というトークはいつの時代も変わらない詐欺トークの1つだ。今の境遇の不安や不満につけ込み、その不安や不満を感じていること自体は肯定しつつも自分の利益をもたらす環境に引きずり込む。そいつらは他人の人生をひっくり返そうとしていることに何にも責任感を感じていない。大学を辞めたり仕事を辞めたりと、そういう選択するのはあくまで提案されたそいつ自身の責任だからだ。そこで失敗しても『努力が足りなかったからだ』と言う事ができるからだ。そういう卑怯なやつらの行動については、昔も今も許すことはできない。

『自分で選んだ』というバイアス

 自分は普通の人に比べると多少映画を観ているほうだと思うが、クソ映画に当たることは少ない。それは長年培った選球眼(ドヤァ、おれのオススメ映画マジ損しないから、絶対観てくれよなドヤァくらいの自信はある。)と、信頼出来る人からのオススメしか観ないというのもある。最近読んだ本で「映画はつまらなかったら15分で退出するべし」みたいな論を見かけたが、それは勿体ないなと思う(その本では『勿体ない』と思うことが無駄だと書いてあったが…)。とりあえず全部観て判断する。そして、全部観終わると大抵は何かしら得たものがあったなと思える。

 

去年になるが、ジョジョの実写映画を観に行った。ジョジョ好きの友達に誘われたのだが、正直観る前は「おれは観終わったあと『HOLY SHIT!』と言う。」くらいの勢いで座席に座った。実写映画は大抵碌なことにならない。そんな先入観もある。それでも観終わってみると「…まぁまぁ良かったんじゃあないか?」くらいの評価になった。いやホントマジ…マジ…な部分も沢山あったが、良かった部分も沢山あり、ちゃんと言語化もできる。けれども世間ではかなり酷評らしい。

 

思うに、自分でお金を出して行ったとか、自分で時間を作って何々をしたといった、自分で何らかのコストを支払って得た経験というのはかなりプラスのバイアスが働いているなと感じる。脳は基本的に気持ちの良い方向に流れるというが、何かしら頭の中で整合性や一貫性を取っているんだろうなと思う。お金を払ったから良いものだった、時間をかけたから良いものだった、という感じ。けれどもそれで良いと思う。100%客観的な評価なんて出来っこないし、主観的な評価を含めて自分の意見だ。良い事を探して自分の生き方にプラスになれればそれは良い事だ。