上司というスタンド

少し前、以下

 

というブログを書いた。要約すると自分は色んな関わった人たちで作られている、というものだ。

 

自分は比較的転職回数が多いせいもあり、また業界も全然違ったりしたので、様々な業界の上司に出会った。必ずしも業界のトップランナーばかりでは無かったが、教えられた事は様々で、それが今に活きているなぁという感覚がしばしばある。おれはそういう人たちで出来ている。

 

先日、実業家の友達が急遽ヘルプを求めてきたので夜に手伝いへ行った。といっても、宛名を書いたりするだけの単純労働力としてである。猫の手も借りたいような状況であったようだ。ユーザーさんに出すお知らせの手紙の宛名を書くことに加え、その封筒に案内文を同封するという。その案内文は、その友達が原案を書いていたので、それをおれが校正するという感じで作業した。

 

その校正をする際に浮かんだことは、こうだ。てにをはがきちんと出来ているか、主語が明確か、漢字とひらがなのバランスはどうか、高齢者向けなのでシンプルで分かりやすいものになっているか、どういうアクションをとってほしいかがきちんと書かれているか...などなど。

 

こういったことはすべて、昔に商業サイトのメルマガを書いていた仕事をしていた時の上司の教えであった。センシティブな層に向けてのメルマガだったので、その上司には1つのメルマガを2回も3回も直された。本当に細部まで気を遣う人で、直しが入るとガッカリしたけれど出来たものは本当に隙がなく、クレームめいたものが入ったことはただの一度もなかった。

 

だから上記のような校正をしているときは、上司だったらどういう校正をするだろうか、という視点で考えながら作業をした。それはあたかも、上司がおれのスタンド(幽波紋)として背後に立っているようでもあった。上司固有の能力をおれが手に入れて使っているみたいな感覚だ。元はおれオリジナルじゃないけれど、そういうものが沢山集まるとおれというオリジナルになる。

 

そういうふうに、過去の教えに感謝するという場面に遭遇することが最近は多い。