経験することを目的にする

最近仲良くしている友達が、先月にある会社のイベントの幹事をやっていた。そのイベントは自分も当日に少し顔を出させてもらったが、傍目からみてもなかなか良い感じに成功しているなと感じた。実際後日その友達と飲み、お疲れ様、この前のイベントすごく良かったよと労った。彼は照れながらも、お客さんからの評判もとても良かったんです、と満足した顔だった。友達が上手くっていることを見やるのは嬉しいものだ。


そのイベントは、彼にとっては本業の傍(会社でいういわゆるプロジェクト案件に相当する)でやったものだった。傍、とはいえ、企画から設営、当日の司会にいたるまで9割方が彼の動きによるもので、本業を少なからず圧迫するイベントだったという。おれは彼に、そこまでするのは、将来そういうイベント的な事業を仕事にしたいからなのか、と聞いた。彼は少し考えて、イベント自体を仕事にするつもりはない、と答えた。イベントの企画から運営までの一連のプロセスを経験したいために、今回のイベントを中心になって取り仕切ったという。将来の夢とは違うけれど、もし何かやりたいことができた時に(それが何であれ)それを実現できるスキル・人脈を今の内に身に付けたい、そのために色々なことを経験したい、そう語った。イベントの企画運営も、その経験の一つだという。


その発想が素晴らしいと思った。本当の目的がイベントの先にあるから、自分の経験値を上げたいためにイベント(プロジェクト)の中心人物になる。なるほどそういう理由なら、どんなお金や評価にならないプロジェクトだとしても(実際問題としては、お金にはならなかったそうだが、彼の会社での評価は上がるだろう)前向きな気持ちで取り掛かることもできるよなと思った。彼の会社でも彼自身にとってもそのイベントは未知で新しいことのチャレンジだったと思うが、彼にはそういう新しいことへの恐怖心も無かったようだった。


経験すること自体を目的にする事ができれば、いろんなことを主体的に取り掛かることができそうな気がする。一見それが遠回りだとしても。『一番の近道は遠回りだった。遠回りこそが俺の最短の道だった』とジャイロ・ツェペリも言っている。