ロマサガ1の思い出

8月にゲームのサガの新作が出た(正確には2年前の新作のリメイク)ので、年甲斐もなく発売日に買ってしまった。iPhoneでプレイでき、買い切りで変な課金要素も無いこと、サガが好きなことが購入の決めてとなった。買ってプレイしてみると、予想以上に嵌ってしまった。夜中寝る時間を惜しんでまでやる始末。今は1周クリアしたので落ち着いている。全体的にストレスがかかりづらいゲームデザインなのと、バトルが楽しいのがとても良い。そのうちレビューを書くかもしれない。

 

サガといえば一番好きなのは小学校の時にプレイしたロマサガ1である。未だに一番好きである。というか、少々特殊な思い出があるゲームである。

 

当時、ロマサガ1をおれは持っていなかったが、友達が持っていた。だから放課後友達の家に集まり、彼がプレイするのを横で見ていた。おれ自身がプレイしたいなという欲は無く、話を進めていくのを見るのが楽しかった。攻略本があったので、それを読んでダンジョンや選択肢のアドバイスをしたりした。確かグレイで進めていたと思う。ガラハドも生きていた。

 

初めてラスボスまで進んだ日、あえなく全滅した。初見でかなうはずもない。何度かロードした挑んだがやはり勝てなかった。そのうち夜になってしまったので、次は勝てると良いねと言いながらおれたちは帰宅した。

 

翌日、その友達と学校で会うとちょっとしょんぼりしていたので、どうしたのと聞く前に、彼は開口一番「スーファミを母親にぶっ壊された」と言った。なんでも、おれたちが帰宅した後もゲームをしていたところを目撃した彼の母親が激怒したらしい。スーファミは2階から庭へ勢いよく放り投げ出され、さらに園芸用のホースで放水されたという。そんな怒りを具体的にアクションに繋げるお母さんだったっけ、とそっちのほうにビックリした。あとちょっとだったのにな、と彼は苦笑した。おれたちはどういう顔をすればいいか分からなかった。

 

次の休日、彼の家の庭にずっと放置されている(落下&放水されたあと放置されていたようだ)スーファミを拾い出した。ロマサガは刺さったままだった。電源を付けてみたら、電源ランプだけはついた。ちょっと喜んだが、テレビにゲーム画面が映ることはなく、みんなでがっかりした。

 

その後しばらくして、友達のスーファミ本体を処分することになった。そのとき、持っているカセットをやるよと言ってくれて、何人かの友達が一つずつ彼のカセットを貰い受けることになった。なんかあとエフゼロとか色々あったと思うが、おれはその友達から、ロマサガのカセットを譲り受けた。貰ったはいいものの、壊れてると嫌だなと思い、持ち帰ってすぐには起動しなかった。

 

その後、スーファミがなくなった友達とは、ゲーム以外のことで遊ぶようになり、ロマサガもおれたちの記憶から忘れ去られた。ラスボス前だったが、だれも特にエンディングを観たいとも思わなくなっていた。

 

おれは中学に進学する際に引っ越すことになったので、その友達とは引っ越して以降は会うこともなかった。

 

おれはゲームが好きで中学になっても相変わらずスーファミをよくプレイしていた。持っているカセットをあらかたやり尽くしたあと、ふとロマサガのことを思い出し、やってみることにした。友達から貰ったカセットを刺してスイッチを入れたら、なんと起動した。当時のデータもそのままだった。彼のデータをロードし、ラスボスに挑むも、また負けた。おれはパーティを鍛え直し、武器や技を手に入れて改めて挑み、ラスボスに勝利した。何年越しかに観るはじめてのエンディングだった。友達がはじめて、2人で物語を進め、おれが終わらせたゲームだ。

 

 

iRigを買った

ギターをやりたいなーと思った時にそれを話したら、たまたま友達が1本余っているというので貸してくれた。人生、望んでいるものは口に出して言ってみるものである。エレキギターを貸してもらったので、アンプが必要だ。具体的にはオーディオインターフェース(I/F)というものが必要だ。おれがギターを結構やっていた頃は20年ほど前で、当時エレキギターをやるにはバカでかいアンプとエフェクターが必要だった。ところが今はモバイルサイズのオーディオインターフェースがある。このI/FをiPhoneに繋げばエレキの音を出せるという。ビックリした。今そこまで簡単にできるのか。すごい。このDIOが生きていた時代には馬車しか走っていなかったというのに...。

 

そういうわけで、iRig HDというI/Fを買った。このI/FにiPhoneとギターとヘッドホンを繋げばエフェクターギュイーンの音を聞きながらギターがプレイできる。こういう環境でギターを遊んでいるが、これはいい。ちっちゃいけれどちゃんと使える。そして簡単。好みの音を作ったりするのも楽しい。けっこう良いギターをお借りしたので(ありがとうございます)、元々の音も良いのだろう。

 

そしてこのI/F、普通に音楽を聴く事にも使える。そうして戯れにiPhoneの曲を聴いてみてぶっ飛んだ。めっちゃ音が良くなる。そうか、オーディオI/Fはデジタルアンプとしても使えるのか。具体的にいうと、音圧と音の分離感がすごく良くなる。楽器の音が1つ1つはっきりして、今まで聴こえなかった音が聴こえるようになる。こうなると音楽を聴くのもより楽しくなる。ソースは同じなのになんで音が良くなるのか不思議だ。しかもUSB接続できるのでiPhoneだけでなくPCで音楽を聴くのにも使える。良い買い物した。

 

 

経験することを目的にする

最近仲良くしている友達が、先月にある会社のイベントの幹事をやっていた。そのイベントは自分も当日に少し顔を出させてもらったが、傍目からみてもなかなか良い感じに成功しているなと感じた。実際後日その友達と飲み、お疲れ様、この前のイベントすごく良かったよと労った。彼は照れながらも、お客さんからの評判もとても良かったんです、と満足した顔だった。友達が上手くっていることを見やるのは嬉しいものだ。


そのイベントは、彼にとっては本業の傍(会社でいういわゆるプロジェクト案件に相当する)でやったものだった。傍、とはいえ、企画から設営、当日の司会にいたるまで9割方が彼の動きによるもので、本業を少なからず圧迫するイベントだったという。おれは彼に、そこまでするのは、将来そういうイベント的な事業を仕事にしたいからなのか、と聞いた。彼は少し考えて、イベント自体を仕事にするつもりはない、と答えた。イベントの企画から運営までの一連のプロセスを経験したいために、今回のイベントを中心になって取り仕切ったという。将来の夢とは違うけれど、もし何かやりたいことができた時に(それが何であれ)それを実現できるスキル・人脈を今の内に身に付けたい、そのために色々なことを経験したい、そう語った。イベントの企画運営も、その経験の一つだという。


その発想が素晴らしいと思った。本当の目的がイベントの先にあるから、自分の経験値を上げたいためにイベント(プロジェクト)の中心人物になる。なるほどそういう理由なら、どんなお金や評価にならないプロジェクトだとしても(実際問題としては、お金にはならなかったそうだが、彼の会社での評価は上がるだろう)前向きな気持ちで取り掛かることもできるよなと思った。彼の会社でも彼自身にとってもそのイベントは未知で新しいことのチャレンジだったと思うが、彼にはそういう新しいことへの恐怖心も無かったようだった。


経験すること自体を目的にする事ができれば、いろんなことを主体的に取り掛かることができそうな気がする。一見それが遠回りだとしても。『一番の近道は遠回りだった。遠回りこそが俺の最短の道だった』とジャイロ・ツェペリも言っている。

それぞれの戦い

朝起きたら北海道で大きい地震があった。おれのTLには北海道のフォロワーさんが多いので、みなさんどうか無事でいてくれと祈る。関西の風災も同様に、無事でいてほしいと願う。

 

こういった大きな災害があるとき、どうしても非日常感というか、ちょっとふわっとした非現実めいた感覚を感じてしまうことがある。ちょっと心によくないタイプの余裕が出てしまっているというか。そういう第三者の危機に思いを置くことで、おれの今を忘れたくなるというか。

 

けれども、おれはおれの現実を戦わないといけない。なんの影響も無いおれにとっては、おれの一日を戦わなければいけないことに変わりはない。何も変わっていない現実に、改めて向き合わないといけない。非日常に酔っている場合じゃない。

 

だから、おれはおれの戦いを続ける。被災者は被災者の戦いがある。それぞれの戦いを戦うほかない。

占い(命)への反応

戯れにタロットをやったりしているが、基本的には占いは信じない性質である(支離滅裂な発言・思考)。フェニックス一輝も、神仏は信じない、信じるのは己の実力のみ、とか言っていた。もう少し正確にいうと、占いの種類のうち、命、卜、相があるが、命をあまり信じていないという感じである。命は統計の一種でもあるから、完全に信じないわけではないが、ふーんという感じである。

 

ただし、信じる信じないと、出た結果に対する行動は別である。そういった話を友達と飲みながらした。

 

例えば、命(どーぶつ占いとか、誕生日占いとか、血液型占い)で、あなたはこういう性格です、こういう良い面があるでしょう。一方でこういう悪い面があるかもしれないので注意です。といった感じで診断されるとする。それが当てはまっていようが当てはまっていなかろうが割とどうでもよくて(結果をワイワイ言って場を盛り上げたりすることはあるかもしれないが)、特に悪い面に関してはなんであろうと注意したほうがいい、と思っている。悪い面というのは、ある意味だれにとっても共通な要素があると思うからである。

 

例えば仮に悪い面というのが、『あなたは好き嫌いが明確なため物事をはっきり言う傾向があるので、知らずしらずのうちに相手の印象を害しているかもしれません。』という要素だったとする。その悪い面が当てはまっていて、100人に接している中で40人くらいにその態度をとってしまっていたとする。その占いに従って、その悪い面を直すことができれば当然かなりのプラスである。

 

一方、その悪い面が当てはまってないとして、100人に接している中で4人くらいにしかそういう悪い態度が出ていないとする。だとしても、その占いに従って、悪いとされるその態度に自覚的であれば、さらによいコミュニケーションをとることができる可能性がある。

 

そう考えると、命の占いもちょっと面白いものに思えてきた。

悪い癖

台風が大阪を中心に猛威を振るっているようだ。ツイッターを眺めていると悲惨な動画がたくさん流れてくる。最小限の被害であることを祈りたい。

 

台風の影響で関東も風が強い。家と電線を繋いでいるつなぎの部分がこの強風で緩んでいるようで、少し強い風が吹くたびにカチカチとうるさい。久しぶりに耳栓をして寝ることになりそうだ。

 

こんな天気なので今日の会社には人が少なく、こんな日は仕事もまた少ないので、午前中は営業所の数人と雑談をしていた。そのとき、話の流れで「いつ誰に見られてもいいように、いつも自分の態度に気をつける意識はとても大事」という話になった。それは普段の身だしなみであったり、言葉遣いであったり、店員さんに対する態度であったり、何気ないけれど悪印象になりうる癖であったり、色々だ。

 

その中の、『何気ないけれど悪印象になりうる癖』に関して。話をしていた先輩は、「自分は商談をしていて余裕のないときに眉間にシワが寄ってしまうので気付いたら笑って直すようにしている」と言っていた。そもそも自分の表情がそんなになっていると気付けたこと自体がすごいなと思う。誰かが教えてくれたのかもしれないが。自分の悪い癖というのは自覚していないからこそ悪い癖として現れてしまう。自分もそれを指摘され、ぬわーとなった(どういう癖かは恥ずかしいのでここでは書かない)。でも教えてくれる人がいるというのはとても有難いとも同時に思う。

 

癖を直すのは難しい。クセは治らない、宿命のようにな…とディエゴブランドーも言っていた。その場ですぐ直すことは簡単だが、直し続けることが難しい。難しいことほど意識的に行うことが大事だ。それがいつか無意識にできるようになるまで。

傘が壊れた

先日、折り畳み傘が壊れた。柄の部分にスイッチが付いていて、ボタンを押すと自動で開き、ボタンをもう一回押すと自動で畳める便利なものだった。先日、雨が降っていたのでいつものようにその傘で事務所まで行き、玄関前でボタンを押して閉じようとしたら閉じなくなった。何百回ボタンを押しても反応しない。買って3ヶ月くらいなんだけど。

 

この、傘が閉じないという状況、初めて遭遇したがかなりうっとおしい。そしてかなり周りに迷惑だ。想定しうる傘の壊れ方ランキングでも最上位レベルにうざったいと思う。邪魔で仕方がない。これ、電車に乗る前、とか、お客さんの打ち合わせ場所、とか、ランチのお店、とかアウェーで遭遇しなくてつくづく良かったと思った。開かない、ならまだ良い。閉じない、はマジ邪魔。幸いうちの事務所にはほど広いスペースがあるので、そこに置かせてもらって一通りセルフ修理を試みたがダメだった。どうやらボタンがぶっ壊れているようだった。

 

諦めて買ったお店に電話をして、何もしていないのに壊れた、開いたまま閉じぬ、修理してほしいが開いたまま持っていくのは周りにも迷惑がかかりそうだ、買ってまだ3ヶ月くらいしか経っていないのでできれば交換してほしい、とありのままを伝えた。お店の担当者は、そういうことであれば交換します、無理やり閉じて持ってきてください、と言ってくれた。無理やり閉じるというのは、つまりおれの手で壊しちゃっていいということですね、と聞くと、オッケーです、と答えてくれた。そうすると自然に壊れた部分とおれの手で壊しちゃった部分があるけれど、それでも交換していただけるということですね、と念を押すと、オッケーです、と答えてくれた。そうして傘のテンションを保持する紐を切り、閉じた傘を持って行って無事交換に相成ったのだった。

 

みなさんも同様の事故に遭遇した場合にはとりあえずお店に相談してみるといいと思う。